「民家」投稿 その4

●丹後型民家・・丹後ちりめんの地帯

 この型がみられる地域は、主に丹後地域(宮津・舞鶴・丹後半島地域)と丹波西北部(福知山市近辺)です。

 元々は、広間型、「広間三間取り」といわれ、土間であるニワに面した居室(シモンデ、ダイドコ)が広い一室になっており、その奥に座敷(オモテ)と寝室(ヘヤ・ナンド)が並ぶタイプです。

 その後、旧永島家住宅(京都府指定文化財、京丹後市から宮津市の府立丹後郷土資料館に移築)にも見られるように四間取りに変化したようです。「ダイドコ」と「ナベザ」の仕切りが開放的で同一構成をとっていて一体性の強いものとなっています。(旧永島家住宅の間取りでは、シモンデ部分をダイドコ、ダイドコ部分をナベザとしています。)

 丹後ちりめんで有名なこの地域は、江戸時代末期に養蚕・製糸が盛んになったこともあり、当初は主屋の部屋がそのまま蚕室に使われたようです。広い土間空間を確保するためか、梁行に太い地梁を渡し、小屋組を叉首組の方法でつなぎ材を用いて補強しています。部屋上部に換気や採光のための窓も設けられています。

 炊事施設としての「ロクダイ」も丹後型の特色といわれています。土間に設けられた「オクド」とは別に「ナベザ・ダイドコ」から張り出した低い床の上に小型の「オクド」を据えた構えで、小型のオクドは「ナベザ・ダイドコ」近くに設置しています。つい最近までの台所施設の原形なっていたものです。なお、土間のオクドは、マヤにいる牛などの家畜の餌の煮炊きに使用していました。

 この地域にも、未だに多くの茅葺き民家は存在しますが、美山地域のように多くが茅葺きのままの地域は少なく、大半が鉄板覆い屋根の民家となっています。ちなみに、舞鶴市では1985年の市消防署の調査によると茅葺き民家1016棟のうち鉄板覆いが753棟となっており、20年経った現在ではこのうち3割近くの茅葺き民家が姿を消していると思われます。

 なお、以上に紹介した茅葺き民家の屋根の材料についてみると、京都北部が山間地域ということもあって708割が山茅(ススキ)と思われますが、地域によっては葦や麦わら、稲わらが使われています。丹後半島の山奥の地域ではクマザサを使用した例もあり、鉄板覆いの下にクマザサが残されています。

手前の大きなオクドとナベザ側に見えるのは炊事施設の小さなオクド「ロクダイ」です。

これらの写真は旧永島家の内部写真です。資料館になっていますのでいつでも見学できます。一度行ってみてください。

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