京都府北部の様々な民家を訪れてみてはいかがですか?

先日ご紹介した「民家」の原稿を出筆するために、改めて様々な民家を訪れました。

丹後半島の伊根の舟屋や丹後地方の重要文化財である旧「尾藤家」や旧「三上家」・旧「上野家」・旧「平野家」などの豪商の民家の数々。また、洪水と戦った歴史を持つ町家(現在福知山の治水記念館)など。そして、今回掲載した様々の型をもつ各地の民家です。

どの民家にも印象ある風景やご案内の方々の姿がありました。その中でも特に脳裏に焼き付いているのは、旧岡花家の建物で現在大本教の敷地内に保存されている「摂丹型民家」である木の花庵の内部でした。毎日、囲炉裏に火が焚かれており、燻された香りと黒光りした梁や柱・床が、外の陽に萌ゆる若葉の緑と対比して、とても美しい光景でした。

また、「北船井型民家」に冬場以外は暮らしておられるという渡邊邸のご主人とお話しする機会がありました。茅葺きの山茅を集めるためのご苦労話です。葺き替えのための山茅の刈り取り時期は、11月から12月にかけてで、刈り取りに御夫婦で203週間かかるとのこと。3040cmの束を1200束は必要とのこと。大変なご苦労とお聞きしました。山茅の集積風景

伊根の舟屋群

宮津市の旧「三上家」

私が田舎をご紹介した方々のご活躍!

古民家再生を探る 

宅建業を営む当社では、京都府北部へ移住を考えておられる方々へ、「田舎ネット」等を通じて、田舎住宅や農家住宅、古民家などをご紹介しています。

昨年も、京都や東京、静岡、滋賀、大阪など各地から移住される方々の不動産の仲介を成立させてまいりました。そして、この北部の地で、皆様それぞれに伸び伸びと生活され、ご活躍されておられます。

今年は、今まで仲介を成立させていただいた方々に、当社の古民家等のイベントにおいでいただき、交流会をさせていただこうと考えています。

とりわけ、今回当社のHPにもご紹介させていただいています「空空舎」の多田様も、私がお住まいを仲介させていただいたお一人です。

今回、「里山的暮らしEKO TASK TEAM」によります”古民家再生を探る”という、セミナー+ワークショップを主催され、綾部の鍛治屋町の里山交流研修センター前にてお住まいでもあります。

阪神より移住されて、まだ1年の間に様々な取組をなされておられますし、地域の方々との交流のご様子が、ホームページから伝わって参ります。

興味あります方は、綾部の鍛治屋町の「空空舎」をお訪ねしてみてください。
http://www.karakarakan.com/index.php?FrontPage

阪神大震災から15年!将来の安全にいくら払う?

地盤減震システムを活用したニュー「蔵漆」住宅。実現へ!

  1/17には、6434人の犠牲者を出したあの阪神淡路大震災から15年目を向かえました。関西の人であれば誰でもあの日のことが脳裏に焼き付いているのではないでしょうか。

関東で育って“地震慣れ”していた私でさえも、「関西でもこんな揺れの激しい地震があるのか?」と、跳び起きてきた娘とまだ暗い外を眺め、あわててテレビのスイッチを入れたことを思い出します。

 昨年も、そんな思いで朝日新聞の防災の特集記事を読んでいた時に、目に付いた内容が次のような記事でした。・・・・・

”低コスト化実現”  シート2枚

これらの免震住宅に300万円前後が余計にかかるため、コスト面で敬遠する人も多い。この為、安価な技術の開発も進む。 地盤測量会社ビイック(東京)が昨年4月、「地盤減震システム」という名前で販売を始めた「シート免震」は、建物と地盤の間に特殊な樹脂シートを2枚重ねて敷くだけ。震度5以上でシート同士が滑り出す仕組みだ。 地震でずれた建物を元の位置に戻す仕組みが無いため、約150万円で済む。地震で建物は約5?ずれるが、住むのに支障はないという。小島修社長は「最低限必要な性能にして価格を抑えた」と話す。・・・・・

震度5以上の安全対策を買う?

 震度5といえば、阪神大震災で関西の多くの人が感じた「揺れ」の状態か、それ以上です。本棚や家具が倒れそうな状態の時に効果を発揮するという、このシステム。一生にそうあるものではないが、この程度の値段で“命と家が補償できるのならおもしろい”と考えて、私がビイック社の佐藤さん達とお出会いし、実際の建物を見学させていただいたのが、昨年の2月4日でした。

 あれから、早いもので1年が経ってしまいました。夏には、実験的モデルとして当社の資材倉庫前にこの地盤減震システムを取り入れた「公衆トイレ」を完成させました。

 今回いよいよ、当社の蔵漆ニューモデルに、この地盤減震システムを取り入れた基礎で、当社の住宅を売り出していく計画です。

「民家」投稿 その4

●丹後型民家・・丹後ちりめんの地帯

 この型がみられる地域は、主に丹後地域(宮津・舞鶴・丹後半島地域)と丹波西北部(福知山市近辺)です。

 元々は、広間型、「広間三間取り」といわれ、土間であるニワに面した居室(シモンデ、ダイドコ)が広い一室になっており、その奥に座敷(オモテ)と寝室(ヘヤ・ナンド)が並ぶタイプです。

 その後、旧永島家住宅(京都府指定文化財、京丹後市から宮津市の府立丹後郷土資料館に移築)にも見られるように四間取りに変化したようです。「ダイドコ」と「ナベザ」の仕切りが開放的で同一構成をとっていて一体性の強いものとなっています。(旧永島家住宅の間取りでは、シモンデ部分をダイドコ、ダイドコ部分をナベザとしています。)

 丹後ちりめんで有名なこの地域は、江戸時代末期に養蚕・製糸が盛んになったこともあり、当初は主屋の部屋がそのまま蚕室に使われたようです。広い土間空間を確保するためか、梁行に太い地梁を渡し、小屋組を叉首組の方法でつなぎ材を用いて補強しています。部屋上部に換気や採光のための窓も設けられています。

 炊事施設としての「ロクダイ」も丹後型の特色といわれています。土間に設けられた「オクド」とは別に「ナベザ・ダイドコ」から張り出した低い床の上に小型の「オクド」を据えた構えで、小型のオクドは「ナベザ・ダイドコ」近くに設置しています。つい最近までの台所施設の原形なっていたものです。なお、土間のオクドは、マヤにいる牛などの家畜の餌の煮炊きに使用していました。

 この地域にも、未だに多くの茅葺き民家は存在しますが、美山地域のように多くが茅葺きのままの地域は少なく、大半が鉄板覆い屋根の民家となっています。ちなみに、舞鶴市では1985年の市消防署の調査によると茅葺き民家1016棟のうち鉄板覆いが753棟となっており、20年経った現在ではこのうち3割近くの茅葺き民家が姿を消していると思われます。

 なお、以上に紹介した茅葺き民家の屋根の材料についてみると、京都北部が山間地域ということもあって708割が山茅(ススキ)と思われますが、地域によっては葦や麦わら、稲わらが使われています。丹後半島の山奥の地域ではクマザサを使用した例もあり、鉄板覆いの下にクマザサが残されています。

手前の大きなオクドとナベザ側に見えるのは炊事施設の小さなオクド「ロクダイ」です。

これらの写真は旧永島家の内部写真です。資料館になっていますのでいつでも見学できます。一度行ってみてください。

「民家」投稿 その3

●摂丹型民家・・大阪・兵庫に隣接する地帯

 この型の名の由来は、昔の摂津国(大阪・兵庫)と丹波国(兵庫・京都)に広く分布し、この地域を摂丹高原(山地)と称していることにあると思われます。

 妻入りで床上部と土間が縦割り型の間取りとなっており、部屋が直列式で通りニワ(土間)型というような特徴となっています。

 能勢型ともいわれるように、大阪の能勢地方や兵庫県の篠山市周辺に相当数が現存しています。

  小屋組は、北山型、北船井型と同じ「オダチ・トリイ型」です。

この摂丹型については、直列式の独特な平面形式をもつ妻入り形式の民家ということで、多くの方々が研究報告していますが、妻入りの家を平入りの家より上格の家構えとするニュアンスが伺えます。摂丹型は16世紀頃に、地域の名主・地侍などの村の上層部の住居形式だったということのようです。妻側から入る場合に必ず目につく破風の存在ですが、当時は破風の使用にも許可が必要なほど特権的なものだったということのようです。

摂丹型の古い遺構として旧「岡花家」(重要文化財。元は船井郡京丹波町に存在)があり、17世紀中頃の建立といわれています。現在は綾部市の大本教本部に移築保存され、「木の花庵」として茶会などに使われています。

今も毎日囲炉裏は火入れがされています。

炭焼き・・その後

火入れしてから506日、更に火入れ口をふさいで506日たちました。煙が少なくなったようで、いよいよ取り出しです。・・・・・今回まだ火が残っていました。大分、燃えてしまったようです。

今回は、30%位しか炭にならなかったようです。結構炭焼きも難しいようです。次回は竹炭に挑戦のようです。

「民家」投稿その2

●北船井型民家・・京都市の西に近接する地帯

 この北船井型の分布する地域は、京都市の西(旧船井郡)現在の南丹市の南部という比較的狭い地域に分布しており、北山型と同系と考えられています。

 この型は、「平入り」(平側からの出入り)で整形四間取りになっており、北山型が整形されてできた型といわれています。小屋組も北山型と同じく「オダチ・トリイ型」です。

 現存する渡邊家住宅を訪れると、「石田家」のような「上げニワ」はなく、広くなった土間(ニワ)がみられ、シモンデ(入口に近い室・部屋)とマヤ(厩)が隣接しており、これらからも北山型の系統に属していることが推察されます。

 この地域も、林業地帯ではあったのですが、他の地域よりも早く農耕へ変化したことが、この農業用の広い土間からも伺うことができます。

代表的な住宅・・渡邊家住宅(船井郡京丹波町)

これらは全て渡邊家住宅の内部です。ご主人は冬季以外はほとんどここで生活されているとのことです。お訪ねしたときも気軽に家の中を案内してくれました。一度見学に行ってみてください。

NPO日本民家再生協会誌「民家」への投稿から!

数年前から日本民家再生協会(JMRA)の正会員になっています。昨年の夏、-新名称「日本民家再生協会」記念号(no.67)に、・・我が地域の民家(9)・・京都府北部の民家・・という題材で投稿させていただく機会を得ました。その掲載内容を4回に分けて紹介したいと思います。

●茅葺き民家が多く残る地帯・・

私の住む福知山市をはじめとする京都府北部の地は、嘗ては日本の行政区分では「丹波国」と呼ばれ、山陰道に位置し、現在の京都府中部・北部、兵庫県北部・中部の東側地域にまで及んでいました。

今回は、歴史的に名高い京の都を離れた府北部、丹波・丹後における「民家」について紹介します。

 JR京都駅の一番北西の端に、本州の西の果て下関に通じる山陰本線のホームがあり、そこが丹波・丹後への旅の玄関口となります。

京都駅を出て特急で1時間余り。農家、町家、漁家といったそれぞれ特徴のある民家が点在する風景が見えてきます。美山の藁葺き民家、伊根の舟屋を代表とする伝統的建造物群や地方都市(綾部、福知山、舞鶴、宮津)の町家を始めとする数々の重要文化財の存在です。それはまた、きびしい冬の雪や海の漁との、あるいは洪水とのたたかいを刻む民家の姿でもあります。

恐らく、この京都北部の地は全国的にも、多くの茅葺き民家が残る希なる地帯であると思われます。

ここでは、福知山を中心とした50km圏内に今も残る藁葺き民家についてとりあげます。

●特徴ある四つの茅葺き民家の型・・

 福知山周辺には、次の4つの型の茅葺き民家が存在します。

○北山型民家 ○北船井型民家 ○摂丹型民家 ○丹後型民家

●.北山型民家・・京都市の北部に近接する地帯から

この北山型の茅葺き民家は、昔の丹波東部山地一帯(京都市北部山間部から旧北桑田郡・現在の南丹市北部)に分布し、原則として「妻入り」(妻側からの出入り)で平面の間取りは喰い違い四間取り(四室)を基本としています。

構造は、柱が小屋組内でたち上がり、その上に渡された梁上に棟束を建てる「オダチ・トリイ型」という小屋組です。

屋根の形態は茅葺きの入母屋造に装飾性の高い破風と棟上の「うまのり(千木・チギ)」が特徴となっています。この千木は美山地方では家格を表し、本家筋は7本、分家筋は5本といわれていたとのこと。

土間(ニワ)は「上げニワ」とよばれ、他の室(部屋)の床高をそろえて、土を高く盛り、タタキで磨き上げています。

北山型の分布する地域は、今でも北山杉で有名な産地であり、昔から林業による生活が中心であった為、他の地域の農家型のような広い土間を必要としない狭いつくりとなっており、壁も板壁が多いのが特徴です。

この型の民家が多数存在する地域として、現在南丹市美山町が有名であり、現存する茅葺きの屋根だけで約230棟(2003年現在)あると言われています。とりわけ、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている北地区の集落は、農家住宅の主屋34棟あるなかで離れも含め茅葺きが29棟・鉄板覆いが6棟集中しており、岐阜の白川郷に引けを取らない、すばらしい里景色の地となっています。

また美山町には、年代の明らかな民家としては最古とされる「石田家」(1650年)や、北山型の中でも威容を誇る大庄屋の「小林家」住宅など北山型民家発展を知る上でも重要な建物が多数存在しています。

北山型の石田家住宅(南丹市美山町)

大庄屋の小林家住宅(美山町)

解体した酒蔵の壁土の保管!

酒蔵の解体から発生する廃棄物の中に、壁土があります。今回、酒蔵の壁厚が厚かったので、大量の壁土が発生しました。

この土は、貴重な再生資源です。茶室等の建築には大変貴重なものです。保管するには、屋外にシートをかけて保管しますが、臭いが結構発生します。新築等の土壁として利用するのも、新しい材料と混ぜてみても、乾燥が早くなり、冬場等の乾燥の厳しい時に非常に良いとのことです。

なるべく土だけを選別し、保管場所に運びます。

竹中大工道具館を訪ねて!

 先日、酒蔵解体の中からでてきた”「ちょんながけ」の欅”のお話しをブログで載せましたが、「ちょんながけ」の説明をするのを忘れていました。 大工道具の一種で、梁や柱をつくるときに使用する「削る道具」の「釿」(ちょうな・ちょんな)で削られた痕跡を「ちょんながけorちょうながけ」といいます。

昨年の暮れに、滋賀や愛知で古材や古民家再生に取り組んでいる仲間と神戸の「竹中大工道具館」を訪ねました。 その会館に、その「釿」(ちょうな・ちょんな)が展示されておりました。この「竹中大工道具館」、昭和59年にゼネコンの(株)竹中工務店が最初に本社を置いたゆかりの神戸にと、建設したものです。 ここに、前述した「釿」を始め、カンナ、ノコギリ、玄翁(ゲンノウ)といった有史以来からの大工道具が二万点以上展示されています。

 日本の大工道具は、7世紀末の法隆寺造営の頃には、既に今日の基本的な種類の道具はそろっていたそうです。 故人である東大名誉教授であった村松貞次郎氏は、大工道具への視点―今日における大工道具の意義―という語りの中で、

「日本の大工道具は道具の王者である。すばらしい木造建築の伝統のかげに、大工の肉体の一部となり、心を映して使い馴らされてきた多くの大工道具があった。建物は華々しく人の眼に映るが、道具は大工とともにそのかげにひっそりと退き、・・・・息をひそめて細工の掌中にあった道具を想うと、哀切の念は深い。・・」と述べています。

 今回、酒蔵の解体によって、保管された欅(けやき)柱もまた、この大工道具によって残された痕跡とともに百年、二百年と生かし続けてあげたいと思っています。

古民家で今年初の三線教室!

  勅使にある当社の古民家で、三線教室をしています。メンバーは子供も入れて1708名です。

月二回の第二・第四土曜日の夜に練習しております。ほとんどのメンバーが関西生まれの沖縄に縁のない人たちばかりです。「沖縄文化研究会」と名乗って、沖縄の様々な文化にふれようと、三線の演奏を中心に活動を続けています。

 昨年も当社のイベントをはじめ、地域の行事に参加してきました。今年も、いくつかお呼びがあるようです。

 私は、代表者の福富さんに勧められ、数年前に高い三線を購入いたしましたが、全く上手になりません。常にイベントの時のカメラマン役です。

 ちなみに私は、父が「ウチナンチュー」(沖縄生まれ)で、琉球音楽も聞いて育ったのですが、泡盛と琉球料理以外はどうも苦手のようです。

 ただし、お酒がある一定の量を過ぎると、突然「ウチナンチュー」になると、友人がいっておりました。

酒蔵の中にあった欅の柱

先日からブログに書いている酒蔵の解体が始まっています。詳しくはすべてのプロジェクトが決まってから書いていこうと思っていますが、今回道路計画に関連して酒蔵を解体しなければならなくなりました。この蔵は一度50年ほど前にも道路計画で移設したもののようです。再び、解体されることとなった蔵の通し柱の数本に目が行きました。よく見ると欅です。さらに、「ちょんながけ」の痕跡があります。この柱は、その以前は梁として使われていたのかもしれませんね。

 今回、保管しておいて、当社の新築建物の大黒柱に使ってみたいと思います。その先はお楽しみに!