池江璃花子さんに学ぶ! 私も再びフルマラソンに挑戦するかなあ!?

5か月休んでいた久しぶりのブログです!

なぜ池江選手に学ぶのかというと。

現在私も血液の病気で、血液内科というところに通っており、この1年間に「骨髄の病気、心房粗動、リューマチ性多発筋痛症」という三つの病気との闘い中です。そして昨日、心房粗動治療「高周波カテーテル・デブレーション」手術を終えて退院の日、あの池江選手の競技復帰が報告されました。その感動を逃すまいと、この1年間の思いを記録にしてみました。

2018年11月。私は、ひと月に2度のフルマラソンを完走しました。福知山マラソンを4時間台で走るために、事前に淀川市民マラソンでフルを練習してよいタイムをねらったのですが、タイムは5時間を切れず、後半は歩きでのゴールでした。

この時期から、何か体が重く、走ってもすぐ歩きたくなる気持ちが先行し始め、老化と体力の減退を感じ始めていたのでした。

2019年8月。年1回の人間ドッグを受診。その時、血液検査で白血球を始めとする血液成分が、通常の人の半分ぐらいになっている貧血反応が出ており、市民病院血液内科での再検査を勧められました。やはり、精密検査が必要とのことで、骨髄注射による血液検査やMRI検査を受けることとなりました。実はこの時、自分の父親が、やはり「再生不良性貧血」という病名で骨髄ガンでなくなっていることが大きな気がかりでもあったのでした。

検査の判定は、再生不良性貧血までにはなっていないが、骨髄が「老化現象?」により機能低下に陥っているというような「グレー」な判定となり、定期的に血液内科に通うこととなりました。しかし、何の治療があるわけでもなく、運動の制限もなく、薬一つ飲むことはありませんでした。私は、いつものように朝5時には起床し、約5kmのジョギングを継続していたのです。

2019年12月。年越しを迎えるある日の明け方、突然寝覚めを襲うような肩や腕の痛み、針を刺すような激痛が走りました。その日から明け方には肩の痛みで起される日々が続きました。ただ、早朝ジョギングは続けていました。そのころから、時々階段や坂道を歩くとき、何か息が上がることが気になり始めていたのでした。

肩や腕の痛みも日常化したため、形成外科も受診するが、老化現象程度の「脊椎管狭窄」等の症状はあるが、特に外科的な治療の必要はないという診断でありました。

2020年6月。このころよく不整脈も発生することがあったため(この時脈拍が50程度の数値から、突然120~130ぐらいになった)、血液内科の担当医に相談し、心電図とCT検査を行うと、担当医から「心房粗動です。循環器科を紹介します」とのことでした。

受診した循環器科では、「高周波カテーテル・アブレーション」という手術を紹介されることになりました。

要は、不整脈で心臓の心房の動きが400~600となり、心室の動きとアンバランスな状態になっているとのことでした。そこで心臓の心室部分にカテーテルという細い管状の器具を使って心臓に電気ショックを与えて脈を正常に戻すという手術なのです。

ちょっと戸惑いましたが、この体の痛みや不整脈が消えるのであればと、すぐに手術を決意。市民病院からの紹介で、舞鶴共済病院循環器内科へ。8月の手術が決まりました。だが、担当の先生曰く、「肩等の痛みは、心房粗動とは関係ない」とのことでした。

そんな中、定期的に通う血液内科の担当医から「どうもその痛みは、リューマチ性多発筋痛症のようだ」という診断がありました。(膠原病の様な原因不明の病気らしい)「ステロイド薬による治療が最適」ということで、「カテーテル・アブレーション」の手術後から治療を始めようとのことになりました。

どういうわけか、このころ2つの病気の治療が始まったのであります。

8月初旬、手術当日覚悟を決めて病院に行くと、コロナの影響で検温をしてからでないと入院ができないのですが、その検温で引っかかってしまいました。何度検温しても37度を下回らないのです。多分、「リューマチ性多発筋痛症の影響で微熱が発生!」手術が3週間伸びました。手術担当医曰く「筋痛症の治療を先にしてもらいましょう!」とのことで、「ステロイド薬による筋痛症治療」が先行することとなりました。

せっかく覚悟を決めて手術に向かったのですが、突然の時期変更で、気持ちは挫折。1か月の禁酒も止め、その日は友を呼んで妻と3人で焼肉とワイン三昧となりました。

数日後に、ステロイド薬による治療が始まります。すると、恐ろしいことに、薬を飲んだ翌朝から体が痛くなくなったのです。体の痛みが取れるのはうれしいのですが、薬の影響によるものであるだけに、効果が効かなくなるかもしれない恐怖が走ります。仮に薬を飲むことを止めるにしても時間がかかるし、今流行のコロナウイルスなどの感染症に対しても警戒しなければいけないらしいのです。

この頃、走ることはできなくなっていたものの、4~5kmのジョギングに代わるウオーキングで1kmを9分半程度で汗をかいていました。

そして8月27日、再度決まった入院。今度こそ手術ということで、準備を終え手術室に向かいました。局部麻酔と睡眠剤でもうろうとする中、デフレーション手術の開始です。

足の付け根と胸の所の大きな静脈血管から管を挿入して、心房への電気ショックでの治療が始まったのです。「ビビッ!」という電撃波の様に響く異様な痛み?のショックが走ります。そんな作業が、幾度となく続けられます。電気で焼いた箇所は、後で聞いたところによると「10数か所」とのことでした。年数が経っていたらしく、治療箇所が多かったようです。結構、高齢者にはこういう人が多くいるようなので、不整脈を心配される方は一度医師に相談されるとよろしい。

今回の治療の箇所のいくつかの痛みが、「筋痛症」で感じた痛みの箇所と重なるように感じられたのでしたが、担当医曰く「まったく違うもの」ということでした。手術を終えると同時に、誰もが「体が楽になった」ということです。私も、楽になったように思えるのですが、ステロイド薬により既に体の痛さが消えていたので、体が楽になっている判断が鈍っていたのかもしれません。その不安が未だに解決したわけではないのですが、脈拍は以前の状態に回復、血圧は正常値に戻っています。これは感動です!

8月29日、退院の日。池江璃花子選手が競技復帰、今後を期待できる記録をだしたという報道を見ました。なんと感動的な瞬間なんでしょう!あの、血液ガンの「白血病」を乗り越えて現役復帰を果たしたのです。

そう考えたとき、私もまた「フルマラソンができるかも?!」という思いがにわかにわいてきたのでした。

私には、三つの病気「グレーな骨髄不全、心房粗動、リューマチ性多発筋痛症」という症状が突然襲ってきたわけですが、心房粗動の手術が完了し、筋痛症での投薬治療が進む中で、少し次の目標を持とうという思いがわいてきたのです。そう、もう一度「フルマラソンに挑戦!」という思いが、池江選手を見ていて湧いてきたのです。

まだ、ステロイドの効果がどうなるのか?血液製造元の骨髄の強化方法はないのか?等々、解決しなければならない課題はたくさんあるのですが。池江選手の頑張りを見ていると、私も何らかの努力をしてみようと思います。池江選手はまだ20歳。それに比べ私はもうすぐ68歳。年の差はありますが、その復帰への思いを捨ててはならないと思う今であります。

私の嫌いなニンジン中心の病院食!!でもお腹が空いて間食!!!!

本日より軽いジョギングも開始!