仏式の起工式と古民家で研修会!


今月は妙に忙しい!昨日は、新しい住宅の起工式と午後からは、私の所属する宅建業協会の青年部の研修会がありました。
通常は、住宅の新築といえば、新式の神主様の登場ということになるのですが、今回は仏式です。ご住職は臨済宗のご住職。なんと私の師匠様。(私もこの住職の弟子として得度を受けています)神式でいうと地鎮祭ということになりますが、今回は起工式ということで「大般若経」をはじめとするお経をあげていただきました。これもまた、霊験あらたか?!でいいですね。


午後は、京都府宅建協会第七支部の青年部の方々の研修会の講師を、私の所有する古民家でさせていただきました。
題して「古民家再生と不動産取引」でした。小さな古民家ですが、30名近くの人が集まりました。

 



この古民家で露天の五右衛門風呂の火入れを近日中に行います!

秋空の下、二軒の建前!

今月は忙しい毎日。台風も何とか逃れてくれ、少し暑いのが問題ですが、家の上棟には最適のシーズンになってきました。私自身がバタバタとしている中、2軒の上棟を済ませました。

一軒目のお宅は、平屋です。越屋根風屋根になっていてどちらかというと和風な感じですね。


平屋ですが、結構大きな梁や桁を使用しています。


もう一軒のお宅は、モダンな片流れ風の屋根になります。昨日上棟を済ませました。

こちらは、結構交通量の多い街道沿いのお宅です。敷地いっぱいの建築なので、レッカーと材料の搬入に苦労いたしました。交通の安全にも気を遣いました。


見晴らしは抜群のようです!

祭壇を作り、簡易ではありますが皆さんで、無事上棟を済ませたお礼と工事の安全を祭壇の前で祈願いたしました。


 

木材劣化診断士!


奇妙な名称ですが、公益社団「日本木材保存協会」が実施しています「木材劣化診断士」という木材の生物劣化(腐朽と虫害)の診断技術の専門家の資格試験です。この受験と講習に来ています。皆さん建築士か木材保存士の皆さんです。
講師の先生方も、大学の教授ばかりです。結構専門的なので少しビビッています。環境省の方々もオブザーバーで受講しています。
宿泊場所は浜松町なので、東京タワーが近くにあります。今朝は雨が降っていましたが、30分ほどジョギングをして東京タワーの周りを走ってきました。スカイツリーに人気を奪われたとはいえ、近くで見るとまだまだスゴイですね。近くには,貿易センタービルもあります。昔は、一番高いビルとニュースになっていたものですがね。
 どうしてもレトロなものに目が行ってしまいます。古民家に携わっているからですかね?!



 

社員旅行!よかった四国村!








道後温泉の歴史を勉強し、坊ちゃん湯を出発。訪れたのが「四国民族博物館」別名四国村。何度も四国を訪れているが、こんなところがあるとは知りませんでした。反省。
うどんを食べるだけの名所かと思いきや、四国の民家を集め、周辺の環境を巧みに取り入れたユニークな屋外博物館でした。
まず訪れたうどんやさん「わらや」は満員の大行列ができるほどの大賑わいです。
 早速食事の後、四国村へ。珍しい「かずら橋」を渡っての入村です。当社員の企画とはいえ、古民家の見学とは。。GOOD!でしたね。木の使い、土の使い、石の使い、火の使い。どれを見ても素晴らしい日本民家の巧みを見せていただきました。残念ながら、時間がなく、ゆっくり見ることができませんでしたが、半日はゆっくり堪能できると思いますよ。一度訪れてみてください.



 

ほーんと久しぶり!道後温泉1泊社員旅行です。




世の中が不況の中、毎月一生懸命ためた旅行貯金で、若いメンバーが社員研修旅行を企画しました。残念ながら、運動会時期で4名のメンバーは参加することができませんでしたが、16名の社員がバスで道後温泉を目指しました。
今回は、職場改善委員会の若いメンバーが、定年退職された水谷さんの送別会もかねて楽しい祝宴を開いてくれました。

通常みられるような、コンパニオンさんがいるような宴会ではありませんが、楽しいチームごとに分かれてのクイズや利きビールコンテストなど様々なゲームがあり、宴会時間を過ぎても大いに盛り上がりました。












今彼ら若者たち
は街に繰り出しています!

解体建物を利用して応急危険度判定実施訓練!


昭和29年から38年にかけて建てられ福知山市営の南天田団地の木造建物の解体が始まりました。当社が福知山市より請け負ったものです。解体する建物の数は集会所などを含め26棟。一つの集落が消えてしまうのです。
今回、この解体する木造建物を利用して、京都府から地震被災建築物応急判定の実施訓練を実施したい旨の要望があり、実施訓練となったものです。
一般にも呼び掛けられ(といっても建築関係の方々ばかりですが・・)、実施訓練が9月12日に、市の防災センターに集まって解体現場に向かったのです。当社からも、山尾、村岡の両君が参加し、実施訓練に汗を流していました。


集会所も解体されます。すでに解体は始まっています。



判定訓練には3棟が使われます。重機で傾かせたものもあります。


いよいよ判定訓練開始です。



当社の村岡、山尾両君も訓練に参加しています。


はたして判定は?


 

福の神!仙臺四郎(せんだいしろう)・・笑門来福!

仙台を訪れたもう一つの目的がありました。それは、福の神「仙臺四郎」がお祀りされているという三瀧山不動院というお寺にお参りし、「仙臺四郎」グッズを購入してくること。

仙台市内の商店街の一角に三瀧山不動院はありました。案内してもらわなければ、まったく気が付かない場所です。
仙台市内の多くのお店に飾ってある置物や色紙になった仙臺四郎さんとは?こんなことが書かれていました。「時は明治。此れは、生まれながらにして福の神となった仙臺四郎なり。彼の通りたる小路、花が咲き、彼の行たる商店繁盛す。彼の入場せる興業、座一つとして空くことなし。ほんに仙臺名物 福の神なり」と。
彼は、江戸末期から明治にかけて仙台に実在した人物だそうです。彼は、言葉はほとんど話せず「四郎馬鹿(シロバカ)」と呼ばれ、街を徘徊していたそうですが、彼が立ち寄る店は必ず繁盛し、彼が抱く子供は丈夫に育つということから、当時から大変な人気となり伝説となったようです。今でも仙台の福の神として愛され、彼の姿を過程で飾ると霊験があらたかになるという信仰になっているようです。
そんな四郎さんがいます三瀧不動院へ福知山東ライオンズの面々は、真剣にお参りし、たくさんのグッズを仕入れてきたのでした。
静かだった不動院門前の店内が、福知山東ライオンズのお客で、突然大賑わい!何十枚もあった四郎さんの色紙が瞬く間に完売!慌てふためくグッズを販売しているおばさんです。

商店街のよく見なければ通り過ぎてしまうような場所にありました


すべて四郎グッズです。

みなさんも一つ飾ってみてください。

震災後初めての東北!仙台紀行・・・

3・11の東日本大震災から1年半。私が会長を務めさせていただいています福知山東ライオンズクラブ19名は、震災後の東北を初めて訪れました。今年復興支援チャリティー絵画展で1700万円近くを売り上げた収益を、福知山市を通じて東北へ義援金として贈ったことを契機に、「やはり今の東北を見るべし!」の思いから仙台五城ライオンズクラブさんを通じて現地の子供たちへも義援金を持っていく取り組みとして実現いたしました。
一日目は、仙台空港を皮切りに、石巻までの沿岸の津波による被害現場を視察してまいりました。仙台の都市部付近の瓦礫はだいぶなくなったというものの都市部を離れるにつれ、被害のつめ跡はまだまだ残っていました。被害の甚大さに言葉もない私達でしたが、訪れたことへの後悔はありませんでした。
石巻市の津波によって流失した油によって焼失した門脇小学校、廃墟となった住宅地、いまだに架線が垂れ下がり線路が砂に埋もれ閉鎖された駅、そんな中で、現地の皆様一人一人が被災の「かたりべ」となって体験談を語ってくれました。
 今月からバスガイドに復帰したというガイドさんの淡々と語る被災の日の体験談。被災後勤務するバス会社がなくなり、船上でのアルバイトでの海苔の販売、やっと1年半かかってやりたかったバスガイドへの復帰など。そこには、体験したものでなければわからない多くの「かたり」がありました。ぜひこの機会に多くの人が東北を訪れていただき、お金を使うことも含め、今後のわたくしたちの生き方、あり方を考えてみるのもよいのではないでしょうか。
仙台空港に到着!


少なくなったとはいえ、がれきは残っています
1日目の現地を案内してくださった
仙台五城ライオンズクラブの会長さんです。この方は三陸町出身の方で被災した三陸町役場庁舎の設計をした方でもあります。町長とも同級生だとか。


まだまだそのままの状態の建物が至る所に残っています。



現地を一望できる慰霊の高台を訪れました。頂上付近まで水が来たのだとか



被災し
んが「かたりべ」です。この方はバスの運転手さんです。
 
石巻の焼失した門脇小学校




学校の周りの住宅街には今も生活の跡が・・・

廃校となった学校はたくさんありました

こちらは未だに復旧の見込み
のない仙石線





多くの観光客も訪れてくれています。
松島の瑞巌寺。こちらは被害がすくなかっというものの津波は到達していました


復活!塩釜の蒲鉾工場


津波は青い壁のところまで来たのだという。

バスの中で被災経験を淡々と語ってくれた
彼女たちの生活のためにも皆さん東北へ行きま
しょう!

 

様々な思い出が・・再生そして新築・・

    それぞれの家族の思い出をもつ家。再生しながら家を残していくお手伝いは、現場担当者にとって苦労は多いのですが、仕事が完成した時の充実感も大きいものです。
もちろん新築の家を完成した時の喜びはそれ以上であるわけですが・・
ただひとつ、「残念だなあ!」と思うことがあります。それは、これまで住んでおられた古民家を解体しなければならない時です。
 今まで多くの家を解体してきましたが、昔の匠の技と素材を消してしまうもったいなさを感じることがよくあります。
 この夏、廃村になった集落の片隅にある御宅を再生していますが、それとは反対に2軒の立派な古民家を解体しなければならないことになりました。
一軒は、無住となって10年以上となった大きな古民家です。1年間、古民家住宅として売りに出していたのですが、屋根の傷み具合がひどく、再生にも建物が大きため千万円単位の再生費用が予測されるため、止むなく解体の道筋を選択していただきました。
 また、もう一軒は、私が昔から注目していました藁葺き2階建ての住宅です。建ってからの年数は70年程度と比較的茅葺きの民家としては新しいモノでした。ですから、2階建てになっているのですが・・・こちらは、比較的あたしらしい住宅のため、もともと1階2階は天井で仕切られており、囲炉裏等の煙を燻して屋根裏を燻蒸する機能がなかったため、茅葺き屋根も傷みやすいようで、葺替えに数百万円単位の費用が予測されるため、やむなく建て替えとなったわけです。このように、持ち主様も解体を望んだわけではないのですが、やむなく解体ということが時折あります。残念なことですが・・・
冒頭の写真は今から40数年前の大江町仏性寺の風景です。右端に僅かに切り妻の屋根の端だけが写っていますが、その建物が再生中の建物です。



施主様から当時の写真を見せていただきました。また、当時の丈のストックをいただきました。今度スキー場で使用してみようと思っています。


このストック非常に丁寧に作ってあります。もちろん手作りのようです。



こちらもただいま再生中のお宅です。大きな屋根が立派です。屋根も只今塗り替え中です。
 
 

 
 

このお宅は残念ながら新しい家を建てたあとに解体しなければなりません。

現在当社の土木部の社員が進入路のブロック積みの擁壁をしています。


こちらは、残念ながら母屋は解体して本日は地鎮祭です。でも離れは改造して残しています。地鎮祭の準備をしているのは、大工経験もある監督の武田さん。



このお宅は、一年間ほど当社で売却不動産として、田舎ねっと日本はじめ様々な方法で売却を試みましたが、残念ながら痛みが激しく解体しなければなりません。非常に残念です。