ちょっと危険な大人の遊び場!


仕事で三重県の桑名市まで行ってきました。知り合いの社長さんのご
自宅に招かれ、裏山の奇妙な工作物にご案内されました。
 それは、なんと孟宗竹の砦でした。小さいとき、よく山に砦を築き遊ん
だものですが、大人版の遊び場というところでしょうか。
この社長様、すべてに遊び心を持っておられエネルギッシュな方です。
 いつまでも少年期の夢をもち続けたいものです。
私も、勅使というところに山を持っています。夢はその頂に露天風呂と
アスレッチックを築くことです。いい刺激になりました。

久しぶりの座禅会!

7月16日(土)から1泊2日の座禅会に参加してまいりました。
座禅会は、すでに30年近くにわたって
開催されており、岐阜の美濃加茂市正眼寺より、山川宗玄老師においでいただいております。
福知山市の大呂にある天寧寺という臨済宗妙心寺派のお寺で、愚中会という座禅の会が田
中禅徹住職を中心に近隣の妙心寺派のお寺の住職様の
ご協力をいただいて、在家の方々を中心に月1回の座禅
会を行っている中での年2階の練成会行事なのです。
私も、この会に参加して25年以上になります。ですから、
私がこの建設の世界に入る以前の公務員時代から続け
ていることになりますね。今回久しぶりに参加いたしました
ので、動画にまとめてみました。
興味のある方は、是非ご参加ください。
唯一私が映っている写真です。
飲んでいるのは、般若湯?です。          

足利将軍家の祈願寺であった天寧寺。福知山市の中でも
もっとも歴史のあるお寺のひとつです。


ご参加ください。

これは、座禅会の衣装です。

こちらは、持鉢ジハツという食器です。

鞆の浦他・広島の旅・・・

この7月の6・7日と建設の業界関係者と広島方面に旅をしてきました。多くの方がゴルフ三昧の中、私たち数名は、尾道市の耕三寺、宿泊場所でもある福山市の鞆の浦一帯、そして呉市の大和ミュージアム・てつのくじら館を見て回りました。


 耕三寺は何度か訪れていますが、実業家金本福松という方が戦前の1936年に建てたといわれる「けばけばしい」印象のお寺で、なぜか浄土真宗のお寺なのですが、あまり興味がわかない観光名所です。今回改めて、興味もなくお寺の中を散策いたしておりましたら、登録有形文化財「潮聲閣」という建物が目に入り、見学させていただきました。
 この建物、私は最後まで木造の建物と理解しておりましたが、後で調べますと、「木造及び鉄筋コンクリート造平屋一部2階建て、瓦葺」と知りました。余り詳しく見学しなかったと反省です。また、この建物が耕三寺建立の原点となった建物と知り、2度びっくり。
この建物は、洋館部分には華麗なステンドグラス、和室は書院造を主とし、数寄屋風な中に、黒柿など多くの銘木をふんだんに使用した数々の部屋、日本庭園など。勉強させていただくものがいっぱいありました。
次に散策したのが、瀬戸内海に面した鞆の浦の町一帯です。この景勝地が、アニメ作家の宮崎駿が「崖の上のポニョ」を創る舞台の原点といわれていることは、知る人ぞ知る有名な場所なのですが、こちらも訪れてまたビックリ。昔から、瀬戸内航路の要所であり、古い街並みと文化の残る素晴らしい観光名所であったようなのです。
この地には、保命酒という独特のお酒を創る酒元が4軒あり、その文化を守る古い建物・蔵が多く残されており、車の入り込めない石畳の路地がたくさんあり、一日中見学しても見あきない街並みが至る所に残されています。
私は、早朝ジョギングをしながら、走り回ったのですが、残念にもカメラを持参するのを忘れてしまい、あとの1時間のガイド付きの観光ツアーでその一部を撮影いたしました。
この鞆の浦は、プライベートでゆっくり訪れてみたい場所のひとつとなりました。
 旅の締めくくりは、呉の大和ミュージアムとてつのくじら館でした。
戦争終結まで海軍工廠のあった呉港に面して建てられた博物館・海事歴史科学館という正式名称の大和ミュージアム。戦艦大和の10分の1のスケールの模型が圧巻!という触れ込みでしたが、私的には、やはり模型は模型だな!という感じの展示物でありました。むしろ戦時中の日本人の科学技術の使われ方とそれを信じて亡くなられた方々の思いがたくさん詰まった館でした。
むしろ圧巻は、隣にある「てつのくじら」でした。正式名称を海上自衛隊呉資料館といいます。こちらは入館料は無料です。屋外に大きなてつのくじらを思わせる、本物の潜水艦が屋外展示されていました。まさか、内部までは見せてもらえないのではと思いきや、全部公開されていましたし、写真もOKでした。戦艦大和の模型の撮影でも結構うるさいことが書かれていましたが、こちらは、かって退役前は国家の秘密であったであろう潜水艦が自由に展示、公開されておりました。こちらは、ジャンボ並みに大きいです。陸揚げ・運搬・設置に大変苦労した様子が記録されていました。どうしても、そういうことに興味がいってしまいます。以上私にとって大変有意義な広島の旅でした。
何故かケバケバしい、西の日光東照宮といわれる耕三寺境内

境内では職人さんが修復をしていました。

耕三寺の原点、母親のために建てた潮聲閣。贅沢なつくりです。

入ってすぐの吹きぬけの構造の様子です。この様子から、コンクリート2階建ての洋館は想像できませんでした。

内部の洋館は、当時としても豪華で贅沢なステンドグラスがいっぱい!



次は豪華な和室の様子です。洋館から廊下を渡ると・・

このような豪華な書院の和室が登場!正面の床柱は黒柿の原木です。
今手に入れると?百万円か?もっとかな?


玄関から入った和室の豪華さ!火灯窓(花頭窓)です。

庭の作りも素晴らしい!


さて次に訪れたのは、福山市の鞆の浦の町です。
思ったほど、崖の上のポニョの話題がないのが不思議です!

この道路の先に港がありますが、今その先に道路を造るかどうかでもめています。


この建物は、坂本竜馬の乗るいろは丸と紀州藩の軍艦が衝突した事件で、当初談判
の場所となった建物。宮崎駿氏のアドバイスで民家再生したそうです。

鞆の浦の町はせまい通りが多い。


この町の文化でもある保命酒の酒元!歴史を感じませんか?
ところで、やたら縄とご幣が目につきますが、この日の夜神社の火祭りがあるとのこと(3大火祭りとのことです)


こちらは、いろは丸事件の頃、多くの刺客からねらわれていた坂本竜馬が
一人隠れて宿泊していた宿の跡です。屋根裏部分の部屋に寝泊りしていたようです。


最後に訪れたのが呉の町!大和ミュージアムですが、外の写真しかありません。


てつのくじら館のほうが印象的でした。大きいですね!

内部にも入れます。


模型ではなく、本物の潜水艦でした!

ちょこっと自慢!

7月1日に発行されたJMRAの季刊誌「民家」の表紙に、私が撮影した写真を採用して
いただきました。
今年の3月に編集者である南風舎の平野様より、「古民家の写真があると思いますの
で表紙に使用したい」旨のお話をいただきました。
これまで手あたり次第撮っていた写真データを集め、何箇所か撮影した場所の写真デ
ータを送りました。やはり、「美山町の写真がいだろうな」と思っていましたら、やはりこ
ちらの写真が採用されました。
私は、カメラ技術も何の知識もありません。
カメラは動画も撮れる普通のコンパクトなものでしたし、写真技術を教えてもらったこと
もないズブの素人写真です。でもこんな風に採用されると何かうれしいもんですね!


http://www.minka.or.jp/minka/index.html
こちらが私の撮影した元の写真です。

ちなみに、その時北村で撮った前後の写真映像をご紹介しますね。





実は、最後のこの写真だけは気に入っていまして、田んぼに水がはられた一瞬の
時期の撮影でした。

看板のリフレッシュ!創業50周年!

この6月の季節はずれの台風によって、当社の古民家再生の立て看板が倒れてしまい、ドライバーの多くの方々から「看板こけとるでー」「なおさんのかー」という電話やメールをたくさんいただきました。

建設業でもあるのにもかかわらず、中々修理しない当社のイメージダウンを心配してくださった多くの方々に感謝をこめて新しいイメージの看板にいたしました。
実は、この看板デザインのメインでありました古民家の家主様が決まり、次の新しい看板の製作を考えていた矢先の台風被害だったのです。

今回は、当社の取り組みイメージを強調するとともに、創業50周年をむかえた当社が、さらに
地元で仕事をさせていただく心意気をアピールさせていただきました。