火鉢の田んぼでのコメ作り・・・

「実るほど 頭を垂れる稲穂かな」(詠み人知らず)という表現のようにはいきませんでした。この歌の意味は、「学識や徳行が深い人ほど、人に対して謙虚」ということですが、今回の火鉢のコメ作りを謙虚に反省せねばなりません。もっと簡単にコメが作れるだろうと思い火鉢での水稲栽培をしてみましたが、結果はこの通りでした。毎日水やりをしていたのですが・・・・

よく乾燥するように刈らずにおいていたのですが、みすぼらしい限りです。

刈り入れ後の田の様子

犬の毛をとかす櫛で実だけすきとりました。

たったこれだけの寂しい実りです。

幸いにも他の壺に後から植えた3本だけの苗は少しだけ実が多くなっていました。


ビンに入れてモミすりです。

現在、一生懸命モミガラ落としに奮闘中!

民間の土木工事も頑張っています!

ここ数年公共工事の減少の影響から、お先真っ暗な我が中小の建設業界ですが、当社も所属する(社団法人)京都府建設業協会が、来年度の新入社員向けの合同求人説明会を企画しました。京都府内の大学・短大・専門学校・高等学校などすべての新卒者を対象に説明会を行おうという、近年では珍しい取り組みです。
この9月29日(水)の午後1時半より、京都駅ビックカメラ近くのキャンパスプラザ京都で開催されます。時期的には、大手企業に比べ遅いような気もしますが、我が業界も公共事業の行方に左右されない組織作りが必須です。ユニークな若者の入社でこれまでの業界体質をドンドンかえっていってほしいですね。
当社も当日、ブースをお借りしての説明会に参加いたします。ただ残念ながら、当社も含め求人側の企業がまだまだ体力的に回復していませんので、なかなか求人数が増える状況にないのも事実です。
ところで当社も、本来は土木工事の比率がが多かった公共工事中心の企業です。今でも、いくつかの府の大きな工事をさせていただいておりますが、こんな民間工事もしています。
こちらは、お宮さんの階段と塀の改修工事。左側を改修しました。右側がまだ未回収の塀部分です。



こちらは、土留めを兼ねたブロック塀を設置します。丈夫な基礎から立ち上げてきます。

元気スイセン!?に負けないように・・・



このスイセンの写真は、当社の事務所の前の駐車場から事務所入り口の階段との間から成長して花を咲かせています。
この暑い夏にもめげず、一周間ほど前から花を咲かしています。このスイセン、今年3度目の開花のような気がします。冬の終わりの春先と、夏前と、今回です。球根がどのようになっているのか、今度枯れた時に調べてみようと思っていますが、すごい生命力ですね。
私も、先日サイクリングから戻ってまいりまして、次の目標である「福知山マラソン」に向けてのトレーニングを開始いたしました。昨年は、低血糖の症状に苦しめられましたが、どうも今考えれば、貧血状態で走っていたことがわかりました。今年は、原因がわかったので、それなりの対策を考え頑張りたいと思っています。ただ、献血に協力できない状態が1年半ぐらい続いているわけで、そちらも早く治そうと考えて日々頑張っております。今のところ毎日のビールがおいしい状態が続いており、一向に体重が下がっておりません。
元気スイセンに学び日々精進したいのですが・・・・

琵琶湖一周サイクリング・・166km・・

まだまだ続く30度以上の猛暑の中、9月11日(土)・12日(日)に、(財)長浜文化スポーツ振興事業団主催の「びわ湖一周チャレンジサイクリング」に参加してまいりました。ひょんなことから、昨年参加したことがきっかけで、今年二回目のチャレンジとなりました。走行距離は一日目が106km、二日目が60kmの166kmで、琵琶湖を左回りに回りました。
このサイクリングのすごい所は、老若男女だれでも参加できること。素晴らしいスタッフのおかげで、下は小学5年生、上は86歳のオジイサン?まで完走できたこと。しかも、普通の自転車(俗にいうママチャリ)でも参加できることです。
私は、現在57歳ですが、平均年齢はもっと高いのではと思えるほど、丈夫な高齢者の方の参加が多かったように思えます。また、今回小学5年生の子供たちが最後まで走り抜いたことも素晴らしい光景でした。
長浜市サイクリングターミナルを出発し、水鳥ステーション、奥琵琶湖水の駅、西浅井町役場、海津大崎、今津緑地公園、白髭神社、琵琶湖大橋を渡り、琵琶湖リゾートクラブで一日目を終了。二日目は、長命寺港、新海浜水泳場、彦根港を通り長浜へというコースでした。
今回、一周の記録を動画でまとめています。編集でき次第ブログに掲載したいと思います。今日は、さっそく写真の映像を簡単にまとめてみました。

出発にあたり記念撮影です。

86歳のオジイサン?の決意表明でいよいよ出発です。

こちらは我がチームの68歳のお母さん。当社の社訓入りTシャツを着てくださり、ママチャリで頑張ってくださいました。

いよいよ166kmの出発です。

きちっとリーダーの指示に従い信号も守ります。

さかのぼりの頂上での一休みです。

美しい琵琶湖の風景をバックに!

途中湖畔での我が班の記念写真です。


86歳のチャレンジャーです。すごい!

この方です。

皆さん夜も元気でした。

翌日ゴールに向けて頑張っています。


ロードを走っていて印象に残ったのは、琵琶湖に面したお墓の多いこと。一周する間に数十箇所のお墓が目につきました。


リーダーのみなさんたちです。おかげさまで楽しい二日間でした。

スタッフの皆様にも大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

最後まで頑張った小学生4人。とても元気でした。

間もなくO邸の再生が始まります!


この春に一つ一つ手壊し解体して、保管していた古材=古財を使ったO邸の再生が間もなく始まります。
道路改良工事に伴う盛土工事が、この夏に終了し、いよいよ本格的な工事が始まります。

今度は,O邸の造成を開始します。

保管されている古材=古財も少しお化粧して間もなく復活です!

少しだけ、再生後の様子をご紹介します。


わかりましたか?

気になるもの二つ!…これは何でしょう?・・・


この泡は何でしょう?・・・

さて、この道具は何でしょう?
最近出会った二つのものをご紹介いたします。
まず、ワイングラスの上に見える白い泡は、「わさび」です。泡ワサビの下に見えるのがマグロで、その下にアボガドが入っていました。先日、京都ロイヤルホテルのディナーの最初に出てきたのがこれでした。
泡がワサビでしょうゆ味のマグロとアボガドの刺身の盛り合わせでした。味はマアマアです。

次はこちら。この木は杉です。3か月前に切り倒され、杉皮をむいたものです。どのくらい乾燥したのかを見てみました。

実は、もう一つの物は、木の乾燥具合を測る「含水率計」でした。

今、三和のダッシュ村では、ギネスに挑戦する試みとして「世界一高いブランコ」を計画しています。当社もそのプロジェクトのお手伝いをさせていただいてます。その、もとになる材料の杉の木を現在、山で葉枯らし乾燥させており、もうすぐ引き上げて皮をむいて、来年の春まで自然乾燥させます。その木の含水率を測る道具です。(財)日本住宅・木材技術センターの認定品のようです。見た目より高価なものです。

防災の日、関東大震災を検証?!……倒壊より火事?!

 今日の暦をみると、防災の日となっていました。そうか今日は、関東大震災が起こった日だなと、「たしか、大正12年9月1日!」と日付が即座に思い浮かびました。
この年に生まれた方は87歳。ということは、この大震災を経験しておられ生存するお年寄りの方はまだ相当数おられるということです。
 改めて、日本史上最大の震災といわれるこの大地震を簡単に調べてみました。相模湾を震源とするマグニチュード7.9の海溝型の地震で関東一円に被害が発生。死者・不明10万5千余名、住宅全壊10万9千余、半壊10万二千余、焼失21万2千余(倒壊後の消失含む)となっていました。
 この地震の特徴的なことは、地震発生が昼の0時直前ということもあり、食事支度時ということもあり、地震発生直後から火災が発生して、火災による建物の焼失や焼死者(東京市だけで5万2千余名といわれる)がとりわけ「史上最悪な震災」といわれる由縁のようです。ただ、正確なことは未だにわかっていないことが多いようです。それほど全てのものがなくなってしまったということのようですが・・・
 話は変わりますが、私は千葉の田舎で育ちました。貧乏でお粗末な家でしたが、その割には剣道の竹刀や古い本棚や硯や古書など、その家には何か不似合な骨董がたくさんありました。母に聞くと、亡くなったお爺さんが終戦まで憲兵であり、以前には東京市で消防局の職員をしていたのだというのを聞いたことがありました。小さい頃、そのお爺さんの古書の中に、確か東京震災の記録が書かれており、赤の色鉛筆のような印しで火災発生箇所などが克明に記録された冊子があったのを覚えています。
 その後、母がそのような古書を処分した頃、「震災の発生の様子を記録した資料が見つかった」というニュースを聞いて、どうもあの資料は私が見ていたものと同じではないかと我一人勝手に思っていました。
 さて話は戻しますが、家の安全についてですが、一番大事なのは、「とっさの時に命を守れる家」ではないでしょうか。次に、「損傷の少ない家」という順番なのではないでしょうかね。
ここで印象的なのが、国の防災科学技術研究所が昨年の10月に三木市の「E-ディフェンス」(大型振動台)を使って行った「長期優良」の3階建て木造住宅の「実物大」実験での結末です。
この時、同じ設計の木造住宅を2棟作り、1棟は「耐震等級2」を満たす長期優良住宅。もう1棟は柱の接合部のみを弱くした同等級を満たさない住宅。2棟を並べて耐震基準の1.8倍、震度6強相当の人工地震波で20秒間揺らしたところ、本来倒壊しないハズの「耐震等級2」の住宅が完全に倒壊し、倒れるハズの「接合部にゆるみのある住宅」の方が完全には倒壊しなかったのでした。
この実験については、今やマスコミも語らないようになっていますが、本当はゆゆしき問題だと思いませんか?倒壊しないと胸を張っていた住宅に人が入っていたら、恐らく人が亡くなっていたのではないでしょうか?片や「倒れるべしで接合部にアソビのあった欠陥?住宅」ですが、多少の怪我は発生したかもしれませんが、命まではなくなっていなかったでしょうね。
私は学者でも専門家といわれる立場にも程遠いと思われる人間ですが、この違いは明らかに問題であろうと直感いたしました。ボルトやナットで剛接合でガチガチにした家よりも少しアソビをつくった柔の接合の方が安全なのではと。思っています。
先人の方たちは古来よりこのことを理解していたように思われます。法隆寺や東寺の五重塔など、未だに私達は先人の技術に学ぶべきことがたくさんあるように思います。身近には、伝統的木造構法といわれる従来の古民家などもそうなのでしょう。
しかし現実には、今の建築基準法では中々先人たちのつくった方法で住宅を建てることはできません。
今、住宅建築する上で地震に対する構造といえば、耐震構造、免震構造というのが法的にも認められているわけですが、特に免震構造は「揺れを和らげるという柔?の構造」なのですが費用的に高額なのが問題として残りますね。
そこで、考えたのがビイック社という会社の「地盤減震」というシステムでした。建物は建築基準法の耐震を満たす住宅を作り、更に基礎下に滑り装置をつくることで、地震時の揺れをシャットアウト(ちょっと大げさですが・・)イヤ、軽減して震度4~5までに抑えるというものです。第1に命を守り、第2に損傷を食い止める。というわけです。
最初の当社が採用したのが、当社倉庫前の公衆トイレです。次に、当社の売り出した住宅「ニュー蔵漆」に採用してみました。次は、秋に蔵の移築をするのですが、その蔵の基礎下に、この地盤減震システムを採用する予定です。
本日は、防災の日です。ちょうどよい機会に当社採用の「地盤減震システム」一度ご覧いただきたいと思います。