北陸の旅・その2・・山代温泉と北大路魯山人


山代温泉に早く到着したので、時間つぶしに温泉街を散策すると、幸運にも北大路魯山人の別荘があることがわかり、早速、訪ねてみることにしました。
 その魯山人寓居跡は、「いろは草庵」といわれ、大正4年頃に、山代温泉の吉野屋旅館の食客として迎えられ、提供されたこの別荘で看板彫刻の仕事を始めた場所でした。
ここで魯山人は、旅館街の看板彫刻を続ける傍らで、陶芸に魅せられていきます。
「菁華窯」を築いた初代須田菁華氏の手ほどきを受け、陶芸の異才を発揮していく地となったようです。
この当時、魯山人はまだ福田大観と名乗っていたようです。
 私は、この魯山人という人の名を「おいしんぼ」という漫画で初めて知ったのですが、食道楽の人なのかと思えば、料理を始め、陶芸、書道、画の世界などすべてを卓越した天才的なアーティストだったのです。

操業380年の「白銀屋」の看板も魯山人は彫っています。

いろは草庵の室内
この部屋でお茶のもてなしを受けました。庭が見られます。



庭には庭木職人さんが入っておられました。

古瓦と菊炭の取り合わせ。参考になりました。


余談ですが。。。九谷焼の産地らしくか?解体跡地には必ず、瓦をクラッシャーした瓦砕石が敷かれています。福知山では敬遠される瓦の砕石ですが、土地柄が変われば、普通に利用されています。こちらも今後参考にさせていただこうと思っています。

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