150年生き続けている五葉の松・・移植プロジェクト再開!そして・・

丁度一年前、五葉の松移植プロジェクトなるものをブログでお伝えしましたが、いよいよ移植の時がやって参りました。

本当はあと一年おいておきたかったのですが、お屋敷の移転に伴い、どうしても移植しなければならないタイムリミットを迎えました。

昨年根切りした部分の土を取り除き、そこまで全ての根を切り落とす作業に入っています。あと一日かけて、出来るだけ底の根まで切り落とす作業と根巻きの作業を行います。そして最後に大型クレーンでつり上げ、移動させます。

そしてこれも、先日のブログでお伝えした明治元年の高札五榜の掲示」についての記事が、地元の両丹新聞社の一面で取り上げられました。

私の留守中の残念な出来事!

会社を留守にするといろんなことが起こっていました。良いことが2件と悪いことが1件。

良いことは、公共工事の土木の入札で2件もの当社の落札があったことです。これは、当社の専務のおかげで上手に落札できたウレシイ話です。

 ところが悪いことのほうが「事は重大」で、あえて当社の恥をさらけ出そうと思い書くのですが、事の真相はこうです。現在進められている茅の台の建築現場の出来事です。

今年の春はあいにくの雨ばかり。現場の進捗状況が悪いこともあり、つい工事時間をオーバーしてしまい、お隣様にご迷惑をおかけしていたようです。

工事現場につきものの騒音とゴミですが、どちらも極力解決しなければならない課題なわけですが、当現場の監督は今回の工事を急ぐあまり、近隣の方々に犠牲を強いる解決方法をとってしまったのです。

工期と予算、そして騒音とゴミ。どれも現場監督にとって、クリアしなければならない重要な課題ばかりですが、一度にすべてをクリアすることは至難の業です。そこで、優先順位を考えなければならないのですが、彼は、つい工程の遅れを取り戻すために現場での大工さんの残業に目をつむってしまったようです。その結果、迷惑を被ったのは近隣の住民の皆様だったというわけです。こんな現場のトラブルが後々、住む方同志の中に溝を生む要因となることもあるのです。

幸いお隣の方が、当社に電話をくださり、常識のない当社の現場を指摘して下さったおかげで、当社の専務が工事を止めさせ、営業部長がお詫びの対応をとることにより、お隣の方とも深い溝をつくることなく、その後工事は順調に進み始めました。

 帰国後、報告を受けた私が早速、お隣の方にお詫びにいきますと、逆に恐縮して下さったご様子。更にお話をお伺いしていますと、当現場の上棟の儀式をしていただいた教念寺のご住職とも親しいお方で、逆に知り合いつながりということで話が弾み気持ちよくお詫びすることができました。

 私自身も、反省しなければと再び思いました。―すべての現場監督が、自分と同じように考えられるわけではない。ひとりひとり判断基準も違い、思いも違う。すべて任せたと安心してしまってはいけない。その場その場に応じた臨機応変な判断力を如何にもってもらうかの訓練も必要だな―と。

ニューヨークより帰ってまいりました。

一週間の旅から帰ってまいりました。本日より、通常どおり早朝5時よりジョッギングを再開いたしました。帰った1日目は、ちょっと体調が重かったですが、本日より普通に起きることができました。一週間でも相当夜明けが早くなっていますね。ただ、いつまでも寒いですね。天候も悪く。工事の進行がどこも遅れているのが気になります。

茅の台のニュー蔵漆も屋根仕舞いの完了がなかなかできず板金屋さんも苦労しています。

ニューヨークでの娘とその友人たちのサプライズ!

ニューヨーク最終日。娘が今日は夕方からどうしても用事があるので、お世話になっている方(日本食レストランやバーをしておられるマコトさん)の所に連れて行かれ,時間をつぶすことになりました。誠さんの奥様達にも迷惑をかけることになるので、家で待っていればよかったのにと夫婦二人して思いながらも、マコトさんや奥様、それにモモさんや幼い娘さんと久しぶりに木の床に腰をおろし、ゆっくりさせていただきました。

 やがて夜が訪れ、外はあいにくの雨です。今晩は、娘の部屋で何かを食べるとのこと。モモさん達も一緒に食事をしましょうとのこと。雨なのでタクシーを呼び、娘のアパートまで。娘もおらず、鍵がないのに、どうしょうと相談していますと、やがてアパートへ到着。珍しく、娘と同居していますユリさんの部屋の電気がついています。モモさんが私の娘に電話をします。すると、用事があって出かけていたはずの娘がドアを開けてくれました。なんか変だな?と思って、三階の部屋のリビングのドアを開けると、10帖余りのリビングに友人たちがいっぱいです。皆さん、私たち夫婦のために、早くからパーティの準備をしてくれたようです。娘は、私たち夫婦をマコトさん宅に預け、買い物をし、料理を準備していたのでした。私たちの相手をしてくれたモモさんやマコトさん夫婦もそのことをご存知で、皆さんで私たち夫婦のためのパーティを企画してくれたのでした。

 あとからあとから訪れてくれる友人たち。総勢何人いたのかわからないほどです。30人近くの人数になったのでは?!

 皆さん素晴らしい人ばかりです。日本はじめ、アメリカ、韓国系、スペイン系、東欧系や様々な国々の方やカップルなど。いやあ、こんなインターナショナルなパーティは生まれて初めてです。たどたどしい言葉でも、心が通じ合い楽しい晩餐となりました。

皆さん、当社の古民家再生に興味がある方ばかりです。京都に来た折はぜひ見学したいとのコト。アメリカで活躍するデザイナーやプログラマー、経営者など様々な方たちとの出会い。娘の友人関係の広さに、只々驚かされるばかり。娘は、あと1年後には今度はフランスをめざすとのこと。

日本が開国し、アメリカ本土と行き来するようになってわずか140年余りですが、本当に文化も生活習慣も違う人たちが、今日本人も加わり世界中で交流ができているんだという実感を肌で感じるアメリカ滞在となりました。

ニューヨークスタイル?アメリカのくらし?住宅?・・・

私たち夫婦が5日間泊っていたのは、私の娘が住むアパートです。2階を3人で借りています。私の娘、韓国人の女性、それに日本人の男性とのこと。日本では考えられませんが、気の合う仲間同士でワンフロア―を借り切り共同で生活しているようです。もちろんプライベート空間があり、それぞれの生活環境は保障されているようです。ワンフロア―の家賃が二十万円ぐらいとのこと。

同居する日本人の男性とはお出会いすることはできませんでしたが、韓国人女性のユリさんとは、1日目から楽しく飲食を共にさせていただきました。

 もう本日はアメリカ滞在の最後の夜となります。皆さんへのお土産買いや何やらでマンハッタンへ行ってきました。

 最後の夜は、大変なサプライズがありました。それは飛行機の中で書かせていただきます。

 ニューヨークでの滞在記、お世話になった娘のアパートと周辺の建築の様子をレポートします。写真は一般的なアパートの様子です。マンハッタンのイーストストリートに行ってみると広場で有機農法(オーガニック)で作られた野菜のマーケットをやっていました。アメリカでもオーガニックがブームのようです。

ホットアップルサイダーがおいしかったです。ラーメン屋さんがありました。日本でも有名な一風堂さんです。すごいボリュウームでした。壁に木切れを上手に使ってありました。

不動産屋さんを見つけました。アメリカでは、弁護士さんたち以上にハイソサイヤティーな職業とのことです。建築現場です。日本より建て方はショボイです。仮設もいい加減な感じがしました。

24時間動いている街!ニューヨーク

朝、マンハッタンブリッジ前のチャイナタウン前のバス停からボストンに出発した私達は、往復8時間余りのバスの旅を終えて、マンハッタンビレッジ前に帰ってきました。

 旅の疲れも見せずに、韓国人の経営する料理店へ直行です。夜も11時近くなのに渋滞です。タクシーに乗り込んだところ、運転手がどうやら、ブルックリン方向は道が混んでるのでイヤだと言っている様子です。娘が乗車拒否はダメ!と怒って、そのままブルックリンの料理店へ。実は、ここは私の娘がお世話になっているお店とか。久しぶりに韓国の焼肉料理をいただきました。

 すでに時刻は、夜中の0時を過ぎています。歩いて、帰宅途中に、娘がたまに行くというバーへ。夜中というのに満員です。さすがに、バーテンダーも一流とか。並ぶお酒の瓶の数にびっくりです。

 いやア、夜も動いています。地下鉄も24時間。タクシーも24時間。夜の2時過ぎに清掃の車がゴミを集めています。こちらも24時間とのこと。

 外壁の絵にもびっくり。こちらは前日にいったMoMA美術館の今行われているコマーシャルの絵なのですが、何と外壁に手筆で描かれたものです。ちなみに参考までに、ほかの場所で見つけた、外壁に貼られたコマーシャルの絵がこちらです。

4日目はボストンへ。ここもよかった!

今日は早くからバスに乗って一路ボストンを目指します。9時にチャイナタウン近くのバス停から乗りました。料金は、1500円の高速バスです。満員です。丸4時間かかりました。目的場所は、ボストンの子供博物館です。

駅で、子供博物館の場所を聞くと、目の前だと教えてくれました。なるほど、ターミナルを出ると、熊谷先生からいただいた資料と同じ姿の建物が見えました。

博物館の中にアジアのブースがあり、京町屋というスペースが3階に造られていました。子供たちがたくさん遊んでいました。京町屋へは靴を脱ぐという説明があり、おもしろいことに、道路部分から皆さん靴を脱いで見学していました。

この京町屋を作成するために多くの方々の協力があり、多くの寄付が集められたようです。その、協力者名の中に、設計者として熊谷勝氏の名前が書かれておりました。30年前京都の町屋を解体し、このボストンまで運び再生させるというプロジェクトに敬服しています。今回当社の蔵漆にも多くの古材=古財を使うという、何か不思議な運命を感じています。

ボストンはニューヨークより寒いです。港があり、建物も歴史を感じさせてくれる素敵な街です。この街はボストンマラソンでも有名ですが、一度ゆっくりジョギングをしたいと思いました。ジョッギングを始めるという人に、美味しいロブスターと牡蠣の店を聞いて、多くの人が集まっているショッピング街に行き、ロブスターや牡蠣をタラフク食べました。夕方、またニューヨークに向かって高速バスに乗って4時間の道のりです。バスの中でこのブログの原稿を書いています。

ニューヨーク第3日目です!

 今日も地下鉄に乗って、出かけました。市内にある鉄道の跡です。ビルに向かって鉄道が切れています。現在、公園にしています。まだ工事途中のようです。アメリカという国はイヤハヤ何ともスケールがでかいですよ。

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まだまだ自動車王国です。駐車場もスケールが違います。

夜のマンハッタンやブロードウエイ付近も夜景がすごいです。人もものすごい数です。東京の新宿・渋谷よりもズットズットすごいような気がします。

昼間は今日もマンハッタンのMoMA美術館に行ってきました。現代アートを中心に展示をしている美術館です。ピカソの絵がたくさんあるのには驚きです。

 夜はブロードウェイで、日本でもご存じの「マンマミーヤ」のミュージカルを鑑賞しました。料金は、安いのが6千円ぐらいから2万円台まであります。私たちは、安いのよりちょっといいチケットで入りました。舞台中は撮影できませんので、上演前の会場の様子です。

ニューヨークで娘に教えてもらったこと!

アメリカに着いて二日目です。イヤハヤ、さすがに世界一の大国です。スケールが違います。

スケールについては、あとでゆっくり述べるとして、娘に教えてもらったことが一つあります。それは、本当の意味での成果主義の考え方。基本的に、サービスをナリワイとする人たちは、自分の働きによって賃金をいただくということ。当たり前のことのようですが、日本では実際にはできていないような気がします。その典型的なことは、チップ制度です。

簡単にいえば、レストランや食堂、バーなどで接客する人たちは、チップで生活をしているいということ。お客様からいただく、食事や飲食などの料金はお店の支払いなのですが、その料金とは別に飲食費の15020%を置いていってもらうのです。ですから、従業員の態度が悪かったり、サービスが悪かったりすればてき面です。チップはいただけないというわけです。お店によっては従業員が、チップを頂けなかったお客様を追いかけて行って、「何か不都合がありましたか?」と尋ねるそうです。

私の娘も、今は飲食店で働いていますが、私が訪ねて行く前の日は、お客様が少なくて、チップをいただくのが少なくて、4,000円にしかならなかったとのこと。でも、お客様が多くて、自分を気に入ってくれたお客様ばかりの時は、1日30,000円でもそれ以上にでもなるとのこと。結果的にはお客が来てくれれば、経営者にもプラスなわけで、プロの人になると、店の経営者から接客するテーブルの権利を買う人もあるとのこと。

日本でも、バーやキャバレーでの接客については、そんなシステムがあるような感じですが、ちょっと日本とは違うような気がしています。文章では表現するのは難しいのですが・・

話は変わって、今日はニューヨークの中心に行ってきました。まずは、メトロポリタン美術館です。入ってすぐのところに、日本でもおなじみのツタンカーメンの遺品がたくさん展示してありました。ゴッホをはじめモネやマチスをはじめとする画家の作品もすごいです。日本のコーナーはショボかったですけど。・・

写真はニューヨークの地下鉄です。その次がメトロポリタン美術館、次がセントラルパーク、最後に昨日見た国際貿易センタービルの前です。

ニューヨーク第1日目!

関西空港から成田へ。成田から何と12時間をかけてニューヨークにきました。アメリカのセキュリティはすごいです。入国の審査で1時間やっと終わったかと思うと税関で中身のチェック、出てくるまで1時間半かかりました。娘ほか出迎えの方々は待ちくたびれていました。

さて車でブルックリンへ向かいましたが、車は渋滞に巻き込まれました。迂回して車は、何とあの破壊された国際貿易センター前を通りました。大分工事が進んでいました。

娘のアパートの前です。

さっそく、周辺ブルックリンのウイリアムスバーグを散策しました。4年前娘がバイトでお世話になったお店とか。マスター(イタリア人)にコーヒーを御馳走になりました。

結構素敵な街並みです。

夕暮れも素敵です。

一日目から、だいぶお酒を飲んでいます。その報告は次にします。では第1日目の報告でした。

久しぶりのブログです!

明日から娘のいるニューヨークに行きます。目的は様々です。観光はもちろんのこと、日本建築の魅力や古材のこと、古民家に対する米国人の思いなど様々なことを探ってこようと思っています。またボストンにある子ども博物館の中に復元されている京都の町家を見学しようと思っています。実は、この町家復元を担当したのが、当社のニュー蔵漆を設計してくださった熊谷勝先生であることを教えてもらったのです。是非現場での米国人達の様子をブログに書こうと思っています。期待していてください。

ニューヨーク行きの前に、昨日・今日は、当社が税務署の監査を受けておりました。久しぶりに、茅ノ台のニュー蔵漆の家の進行状況を確認しにいきました。

職人さんそれぞれが、てきぱきと仕事をされておられます。今では現場で余りみられなくなった職人さん達の姿がこの現場ではみられますのでご紹介します。

今では珍しい現場で手鉋を引く姿です。

最近ではノミも珍しいかもしれません。

玄関のポーチの柱をあわせています。

屋根はガルバニュウム鋼板で葺いています。屋根が急勾配なので足場をしていますが、職人さんも大変です。

蔵漆の赤いヘルメットの監督員です。

春の気まぐれな天候に悩まされています!

先週の茅ノ台の「ニュー蔵漆」の上棟の日から、雪交じりの天候に悩まされています。今日の朝も雪が降っていました。その後天気は回復し、やっと大工さんが屋根仕舞いをできる天候になりました。

5月の連休のお披露目に向けて、これから急ピッチでの作業となります。

 この「ニュー蔵漆クラシック」の建築について、KBS京都の羽川英樹さんの放送中にお話しさせていただく機会を得ました。是非、その時はラジオに耳を傾けてください。

今朝の我が家からの春の雪の風景です。

茅ノ台の眺めの良い場所に建つニュー蔵漆

屋根仕舞いが急ピッチで進みます。

大黒柱は7寸(21?)のけやきです。

蔵を利用した田舎の喫茶店・・京丹波町の「かりん」さん

蔵を利用した田舎の喫茶店・・京丹波町の「かりん」さん

妻と二人で京都へ車で出かけた帰り道、久しぶりに京北町まわりで周山街道を通って帰ってきました。去年、美山町に何度か出かた時に、周山街道沿いで撮影した田植え前の田んぼと古民家の場所をもう一度確かめたくてわざわざ遠回りのドライブを楽しんできました。

その途中、妻が立ち寄ってみたいという蔵を改造した喫茶店に行ってまいりました。すでに当社の営業の山本部長は、訪れているとの情報が・・。由良川を横断する谷にかかる田舎の橋を渡り、細い田んぼ道に掲げられた看板を目当てに運転していくと小さな集落の一角に蔵と古民家が見えてきました。白い蔵の入り口ののれんをくぐると中はこじんまりとしたカウンターのある喫茶室になっていました。

6年前から大阪から移り住んで、営業をはじめたという女性店主は、近くの道の駅でも販売しているという手作りの天然酵母パンを包装しておられました。

私たちも、手作りのウインナーとこのパンをいただき、美味しいコーヒーを味わいながら至福の一時を過ごさせていただきました。

「当社の古民家でもこんなコーヒーブレイクができたらよいのになあ!」と思いながら帰ってまいりました。誰か、当社の古民家で喫茶室を運営する気ありませんかねえ?

蔵が喫茶店です。

暖簾をくぐるとこじんまりした室内空間が。

お店の中です。許可を得て撮影させていただきました。

おいしいパンでした。

ついにニュー蔵漆が茅ノ台に上棟!

本日、待ちに待った新しい蔵漆モデルが茅ノ台に棟上げされました。今回のメインの大黒柱は欅の古材=古財です。梁にも古財を使用しています。

この難しい構造に大工さんもタジタジです。和室の組み立てで午前中までかかりました。

こんな建て方は当社も初めての取り組みです。

一日中かかってやっと棟までいきましたが、通常の建て方の半分しかできていません。大工さん御苦労さま、明日もよろしくお願いいたします。明日詳しい建て方のお話を掲載いたします。本日はこれまでとさせていただきます。明日をお楽しみに!

当社は古材活用と古民家再生だけではありません!

最近ちょっと気になっているのですが、どうも当社のホームページや私のブログが古材や古民家の話題にいってしまう傾向が強いような気がしています。でも実は、当社は元々公共事業がメインの会社なのです。しかも本当は土木工事が得意なのであり、現在も当社工事高の半分以上は公共事業なのであります。

 ここにご紹介するのは、公共工事の建築ばかりではありませんが、この春竣工をむかえるいくつかの建築工事です。

 まずは、大江保育園の建築工事です。正式には名称が「げん鬼保育園」となったようです。両丹新聞にも記事が掲載されていました。

 

両丹新聞さんに大々的に広告が掲載されておりました,「NPO人権の会しあわせネットワーク」様の廃食用油回収事業の回収油の保管施設の建設です。現在完成に向けて工事が急ピッチで進んでいます。

 

こちらは、福知山市上川口地区にあります十二公会堂です。昨年夏、上棟後に大雨で裏山が崩れ、復旧のための擁壁工事から再開しての完成です。

古民家や田舎物件取引に思うこと。

一昨年前頃から、田舎物件や古民家の仲介を多くさせていただいております。

本日も、一件仲介をさせていただいたところです。最近、「福知山や綾部の人口増加に一役買っているナア」と自負させていただいております。

 購入するのは若いカップルの方もおりましたが、圧倒的に多いのは、私の世代のカップルです。そう、団塊の世代かその近くの世代といったところでしょうか。

 関東や近畿の都会の方達が多いですね。これまでの方々は、たまたまでしょうが、非常に穏やかで真面目な方ばかりでした。

当然のことですが、農業を志したり、野山に親しんだり、薪ストーブにあこがれたりと自然派感覚の方達ばかりです。

ところが、このような田舎物件のお世話をしていますと、取引金額はあまり高くないのですが、取引するまでの過程で難しい問題を抱えている物件が結構あります。公図上に正式な道がない、隣の土地と所有者権が入れ替わっており覚書で取引していたとか、一部は農地のままである、とか。・・

更に、いい加減な取引物件を仲介し、手数料を法定料金以上にとっていた業者などもいるようです。土地は名義変更されているが、建物の登記がないなど、ご紹介いただいてから調査していくと、なんとまともな物件(?)が

無いものかと驚かされることばかりです。一世代か二世代前の登記のまま相続されていない物件など当たり前と考えた方がいいでしょう。

 こんな状態が田舎物件にはつきものなので、町中の不動産業者の方は「面倒くさいばかりで手数料は安く割に合わない」と敬遠しがちなのです。

私も当初は、そう考えて田舎物件については真剣に扱うことを考えておりませんでしたが、「田舎ねっと・日本」を通じて、いつしか出会う方々との交流や難しい問題を解決したときの満足感に喜びを覚える様になってしまいました。  http://www.inakanet.jp/

 この北近畿には、まだまだたくさんの空き家があり、私の住む福知山より更に奧の地域には廃村寸前の地域がたくさんあります。中々北部に向かっての物件取引は少ない状態ですが、少しずつ依頼の件数も増えております。只前述したように、中々問題がクリアできなくて物件情報として登録できるのに時間がかかっています。一刻も早く、全ての依頼物件をご紹介できるよう日々努力している今日この頃です。    ・・3月初めてのブログです。今月からは不動産に関する話題も少しずつ書いていけたらと思っています。

当社から車で5分くらいの所に建っております、今では珍しい2階建ての茅葺き屋根の素敵なお宅です。(取引とは関係ありません)