芸術的な基礎!ニュー蔵漆

茅ノ台の土地に先日掲載した「地盤減震システム」を取り入れた基礎が完成いたしました。

どうです。芸術的な基礎だと思いませんか!当社もこんな基礎初めて手掛けました。

これまでの工程をお見せします。まず先日の地盤減震シートの作業工程です。

地盤減震シートを防護するゴムシートを敷き詰め、鉄筋を配筋しポンプでコンクリートを打設します。

立ち上がりの基礎をして完成です。

現地での完成状況を想像してみました。

古民家再生と古材活用

年明けから取り組んでいます「150年間続いた酒造場の移転に伴う」建物の撤去が一段落しました。といっても、道路築造のための、建物を取り除く作業の1ステップが終了したというだけのことなのですが・・

 母家本体の復元と蔵の移築という目標の為に、母家については手壊し解体と主材料の再生、蔵については曳き家(メンヨー)による移動という方法で

親しい会社2社で共同企業体を組んで取り組んでいます。

 とりわけ、手壊し解体部分の母家につきましては、主な解体作業から大工さんの手作業でお世話になるという非常に手間と費用のかかる方法で撤去していきました。解体のための外部足場や内部足場やレッカーの導入という通常では考えられない工程を経て、その「歴史ある建物」は徐々に「価値ある材料」としての姿に変わっていきました。

 あの大きな母家の壁や床の下から、一尺もある欅の柱や一尺以上と思える栗の土台の坐った姿や松の梁や桁が「どうや!すごいやろう!」と自慢げに腕組みをしていましたが、やがてホゾから抜き取られ一つの材料となった姿を見ると、なにか力の抜けたさびしい思いを感じました。

 これまで、たくさんの家を解体し、一部の部材を「古財」として保管し、再生材として新築にも使用するということを続けてきましたが、今回の手壊し解体には、とりわけ感慨深いものを感じました。

確かに保管し再生する材料は150年のおもさが感じられ、すばらしいのですが、一方でやはり魂の抜けた「抜け殻」のように思える感じがしてしまいます。「できるなら、そのままの形で再生してあげたかったなあ!」という思いで一杯です。

 ただ今回は、道路にかかると言うことで、どうしても撤去しなければならず最善の方法での再建築ということで、しかも施主様の費用負担のご理解ということで実現できた唯一の方法であったわけです。

 今後は、一端保管している材料を使用してどこまで魂の入った建物を仕上げていくのかが私達共同企業体に科せられた使命だと考えています。

 新築の家に「古財」を導入すること。「古財」を中心とした材料に再度魂を入れて再築すること。古き歴史ある建物構造を生かし、今の姿に再生させること。厳しく困難な仕事ですが、やはりやりがいのある仕事だと思っています。

蔵のメンヨー=曳き家 その2

さて今日はいよいよ曳き家がはじまります。昨日に続き状況写真で報告いたします。本当は動画でも撮影しているのですが、1秒間に5mm位づつ動いておりました。今日一日で、仮設の基礎の場所に到着いたしました。今後は、更に造成後にキチッとした基礎の上に移築させる予定です。再度、メンヨーを実施するというわけです。

蔵の進むレールを用意します。

鉄のコロを使って木のレールの上を動かすというわけです。

引っ張る力だけは最新の油圧を利用した機械を使用します。

ワイヤーを油圧機械で締めながら引っ張ります。

ゆっくりですが一日かかって目的の場所に着きました。

あとは回転させて据えるだけです。

1日かかって元の場所からの移動でした。

メンヨーについて?!

この聞き慣れない言葉を皆さんご存知でしょうか?関東生まれの私は、この業界にはいるまで知りませんでした。メンヨーといえば羊のこと(綿羊)だと思っていました。どの辺の地域までこの言葉を使用するか調べておりませんが、この北近畿の地域では「曳き家」のことをメンヨーといいます。

 このメンヨー=「曳き家」で明日2月23日、蔵を動かします。当社のOBの源次郎さん(通称源さん・竹炭に登場)曰く、「昔わしらがやった方法とほとんど代わらない方法やなあ!」と言っております。

 今日と明日で、曳き家の動きをご紹介したいと思います。

この蔵をメンヨーします。

外部を補強します

ジャッキアップしてみると土台が傷んでいましたので土台の栗の木を新品にします。

内部の状況です。

移動先の仮置きの場所にコンクリートで仮の基礎をつくっておきます。

仮の基礎の場所の方向に向け蔵を回転させます。

回転しました。

それではここからは、明日報告いたします。お楽しみに!近所の方は見学に来てください。福知山市野花です。よく目立つ場所ですのですぐわかりますよ。

参加型ドキュメンタリー映画「ぼくのヒーローは、すぐそばにいた!!」の鑑賞!

本日、綾部の中丹文化会館で(社)京都府宅地建物取引業協会第七支部主催の支部研修会があり、第七支部の地域貢献事業という主旨も踏まえて一般市民の方々にも呼びかけて、この映画の上映会を行いました。私も、支部総務部長ということで主催者側として、この上映会に参加いたしました。

 ”「107+plus1 天国はつくるもの」奇跡は起こり連鎖する編”としてのドキュメンタリー映画で、あらすじとしては、最初に自然分娩のお医者さん吉村先生の「しあわせなお産が日本を変える」とする生き方とそこで出産を楽しく向かえようとする女性や夫婦の姿から始まります。やがて生まれてくる小さくて偉大な命を未来につなげたい。この子達の未来は。ということで日本や地球の未来を考えます。日本の食糧自給率は40%。ということで農業をはじめたり。地球温暖化防止新聞を3000万部発行したりと。めまぐるしく話しは動きます。さらに、この地球は温暖化により、世界各地で砂漠化が始まっているということで、木を植えようということで中国の植林活動に参加する人達を紹介します。

 その植林に末期ガンのお医者さんが参加していました。「残りわずかな人生。この植えた木は私が亡くなったあとも多くの命の力になってくれるはず」と。ところが、日本に帰ると奇跡が起こりだしました。検査をするとガンを示す値が一気にさがったという。その方は翌年も植林に参加し、やがてホノルルマラソン参加に向かいます。この流れの中で、身体に障害のある方やガンを克服しょうとマラソンに参加する多くの人達の姿が映し出され、共に仲間に支えられながら完走する。という内容の映画です。

ストーリーとしてはめまぐるしく変わり、忙しい内容ではあるのですが、笑顔と涙と勇気と感動を与えてくれる映画でした。

余り上手に説明できませんが、私もマラソンを楽しみますが、マラソンに限らず、楽しく熱中できることがあると、人間には不思議なホルモン?麻酔?のベーターエンドルフェンという不思議なものがでてくるのだとか?これがまた凄い力を持っているようです。自然分娩というお産も、農業も、植林も、マラソンも、楽しく生きればこの世が天国なのだ。といってくれているような映画でした。皆さんも一度ご覧になってはいかがでしょう!

源(げん)さんと英(えい)ちゃんの竹炭焼き。大成功!

勅使にある炭焼き窯で、今回何度目になるのか?わかりませんが、最高の竹炭焼きができたようです。ほとんど、カケラが無いくらい綺麗に仕上がったようです。御本人達も今回は上機嫌でした。床下や押入に入れる竹炭は細かくなったものを使用するんですが、今回は十分すぎるぐらいきれいな竹炭を使えるようです。早速当社のニュー蔵漆の住宅にたくさん使用してみようと思います。それにしても芸術的なくらい綺麗に仕上がっています。

今回の火の管理はうまくいきました。数日おいて火が消えるのを待ちます。いよいよ窯の口を開けます。

大成功のようです。竹の形のままの炭がぎっしりです。

ものすごい量です。ロスが全くありません。

こんな細い竹も壊れていません。きれいでしょう!

彼らはこれから竹炭を加工することに夢をふくらませています。次回その作品を紹介したいと思います。

最近、やけに地盤減震がマスコミに注目されています!

先日、関西で初めて地盤減震システムを活用した住宅の製作をご紹介し、地元のマスコミに取り上げられたことをブログにも書きましたが、以来、マスコミによる問い合わせが増えております。先日の建設タイムズの記事もですが、両丹新聞では、再度「街角ウオッチング」として、昨年製作した「地盤減震トイレ」を記事として取り扱ってくれました。明日はまた綾部の両丹経済新聞社の取材を受けることになっています。

保存解体の現場に学ぶ・・

150年もの間には、様々な出来事があったと思います。今回のこのお宅の解体からは多くのことを学ぶことができます。

 まず、梁や桁という構造材等の木材に、以前使用されていたような跡がある木材も見うけられます。今で言うリサイクルです。以前、加悦町の尾藤家という文化財の建物を見学に行ったときも、蔵の梁や桁に20300年使用した材をリサイクルしているという説明を伺いましたが、正に昔の方が一般的に有効な木材を上手に使っていたようです。150年間の蓄積です。

 また、150年の間には何度かリフォームもしておられるようです。解体途中の壁からは、昭和3年の年号の新聞が貼られていました。

屋根も瓦、土、杉皮と順番に丁寧にはぎ取っていきます。

 200年住宅などというのは、そもそも今になって考えるものではなく、既に何百年も前の先人が考えていたことなのですよね。・・・

昔の竹製スキーストック

古民家を整理していて、こんなものを見つけました。竹製のスキーストックです。私もスキー歴35年以上ですが、すでにその頃はアルミ製のストックでしたので、4050年以上前のものと思われます。

実に精巧にできています。牛革もまだまだ大丈夫です。

今度このストックを使って滑ってみようと思います。数年前、山形の月山で春スキーを楽しんでいた時、90才ぐらいのお爺さんがこの竹製のストックでスキーを履いて立っていた光景を思い出しました。手作りのものはなんでも美しいですね。

スキー少年のたわごとでした。・・・

「技術」「信頼」を考える?!・・プリウスのリコール問題から

トヨタ自動車のハイブリッド車「プリウス」が、ブレーキが瞬間的に利かなくなる問題で国土交通省にリコール(回収・無償修理)を届出というニュースで賑わっています。

 先月頃から、度々アメリカでの事故例などニュースで取り上げられており、欠陥かどうかが論じられていましたが、豊田章男社長は「不具合」を認め陳謝しました。

 早速、2/9(火)の朝日新聞の天声人語欄には次のような記載が載っています。・・・ひと月ほど前の小欄で、プリウスの成功を「一流の技術陣がアクセルを踏み込んだ時の馬力を思う」と書いた。組織にも「心技体」がある。技は一流でも、心や体が覚束なければ信頼はついえてしまう▼「不良品にならなくても、『こんなものを納品したら会社の恥だ』と妥協しない人と、『まいいや』と見逃す人では、ネジの出来がまるで違う。ネジが積まれた山を見たら美しさが違うんですわ」。作家の小関智弘さんの『現場で生まれた100のことば』に見つけた、あるネジ職人の心意気だ▼見事な「ものづくり魂」に比べ、不良品にあらずと言いつのるトヨタは小さく見える。守るものは体面ではなく、お家芸の「品質と安全」であってほしい。・・・

長く引用しましたが、この記事を読ませていただき、つい3ヶ月前の、兵庫県のE-ディフェンス(防災科学研究所・兵庫耐震工学研究センター)での長期優良木造3階建てを試験体とした実大振動実験の結果報道を思い出しました。

 この実験では、阪神淡路大震災のような大地震を想定し、それに耐えれる長期優良の木造3階建て(性能表示制度における「耐震等級2」相当)を建てて実大の耐震実験を行ったのです。結果的には、倒壊を免れると予測された長期優良住宅となる「耐震等級2」の建物は倒壊し、倒壊させるべく接合をゆるめ遊びのある組立をした「耐震性のない?」住宅が倒壊を免れるというお粗末な結果となったのです。実験を担当した研究グループ(防災科研と木を生かす建築推進協議会)は、「耐力壁の先行破壊で終局が決まっており、現行設計法の想定通りであることが確認できた」と訳のわからない答弁報道は印象的でした。「倒れなかった家より、倒れた家のほうが安全」とでも言いたいのでしょうか。と思えるほど素人にも判断できる結果だったのではないでしょうか。このニュース記事、大きな圧力が働いているのか意図的なのか、最近ではインターネットも含めほとんど話題に上っていません。

 プリウスのリコール答弁も、E-ディフェンスの耐震等級2の実大耐震実験の倒壊答弁も、余りにも説得力のない答弁のように思えてなりません。自らの技術や品質に自信を持つのは良いのですが、忘れてならないのは人の「安全」だと思います。二つの話題は、このことを忘れているような気がいたします。車も家も「人命」優先を考えるべきものではなかったのでしょうか。・・

 ここで先日の「古民家再生を探る」特別セミナーでのお話を伺った金沢工業大学と秋田県立大学の名誉教授である鈴木有教授のお話になるわけですが、鈴木先生は阪神大震災で被災された多くの民家に興味を持たれ、直接被災地を訪れ、倒壊を免れたその数の多さとその構造に注目し、日本の伝統的な木造建物の持つ粘り強さに着目し、「構造体の持続性を高める伝統木造溝法」の合理性を、日本で初めて実物大の実験用住宅を使って実証された方です。

 その鈴木先生がこうおっしゃっています。・・伝統的溝法の建物は全ての部分に無駄がなく、また構造がそのまま意匠になっているから、人が美を感じる一つの大きな源になっている。重力の世界にいる我々は、重力に耐えるべく力学的に合理的につくられた対象物を観ると、本質的に美しいと感じるようにできているようである。・・・例えば(洗練された民家)を観たとき、緊張感や均整感のある美しさとともに、その美しさはある種の風格や品格に通じると感じるのは、筆者一人ではあるまい。・・と。

 当社は、前述の「つくりに拘ったネジ山の美しさ」や、「重力に耐えうる合理的な構造の美しさ」を意識して、かつ「人命優先」の家造りを目指したいと思っています。・・・

民家再生のための人力解体・・雪の風景から・・

150年以上前の民家の移築解体作業の雪の日の現場写真です。敷地に斜めに接して流れる川に沿う形で建つために主家の西側は複雑になっています。川に飛び出す大きな土台が見えます。大きな栗の木の土台です。中から土台を見ると、大きな家の柱を支えているのがよく解ります。当時の基礎もすばらしい技術です。色々と勉強をさせていただいております。3月末までかかり、一時保存のために丁寧に取り外していきます。今後何度かその経過をお知らせしようと思います。

川岸の上に載っている土台をご覧下さい。

大きく見える土台を内側から見てみます。

拡大してみます。

窓側の上から見てみます。下には川が見えます。

150年前の当時の釘です。角張っています。

本日、近畿初の「地盤減震システム」の基礎工事を開始!

 いよいよ「地盤減震システム」の基礎工事が、茅ノ台の地で始まりました。

関西以西で始めて、全国で7例目になる「地盤減震」という震度5以上の地震から住宅を守るシステムの工事を開始しました。

 今回は、開発者であり、登録地盤業者である東京のビイック株式会社からも3名の技術者が訪れ、当社の社員と共に、ベタ基礎下にハイブリッドシートといわれる特殊すべり材を全面敷設する作業を実施しました。

これにより、阪神大震災並の震度7(地盤の加速度800gal)に対し、建物の揺れを震度5(建物に伝わる加速度200gal)程度に低減させることが出来き、地盤と基礎とが縁を切ることで、建物を崩壊から守ることができるのです。

 

その減震シートの敷設作業の様子です。

ベタ基礎の下になるベースコンクリートです。今回+-1mmという誤差のフラットな盤面でした。防水シートを貼ります。いよいよ特殊すべり材を全面に敷設します。二面貼ります。最後に保護用ののゴムマットを敷設します。この上に鉄筋・・コンクリートと・・ベタ基礎をつくってゆきます。

 この敷設作業の様子を、地元「両丹新聞」社と建設業界誌「京都建設タイムズ」社が取材に来てくれました。

5月の連休には「ニュー蔵漆」としてデビューします。お楽しみに!

尚、このシステムに関する詳しい情報は、http://www.vic-ltd.co.jp/genshin/genshin01.htmlでご覧出来ます。

蔵の中から、こんなものが・・激動の日本史編

現在、酒蔵のあったお宅を、道路築造による移転のために解体や一部保存の工事をしております。蔵は、曳き家(メンヨーという)で再建します。150年以上の歴史を持つお宅も人力解体し、再建築を計画しています。

 そんな工事中の中から、ヒョンなことから貴重な歴史資料が出て参りました。解体処分されるはずの板に混じって、どうも気になる文字が見えたのです。「太政官・・」「なんだこれは!」良く読むと「太政官布告・・・慶応四年三月」正に、江戸時代(慶応)から明治に変わる激動の始まりの年ではありませんか!これは、あの太政官布告だ!・・ちなみに私は、大学時代史蹟研究会に所属しており、大学の史学科を志したこともありますので、この程度の知識はもっておりました。

早速大工さんに、この板はどこにあったのか、二枚しかなかったのか、を尋ねました。大工さん曰く、「全てを移転した空っぽの部屋に、棚板に板切れが二枚あっただけ。」とのことでした。それを、板ごみと思い、外に放り出しただけのようです。

ちなみに、この板(「高札」といいます)の話しを、早速インターネットで調べましたので、少しだけご紹介します。その前に、実物写真をご紹介します。

慶応四年(1868年)3月に、太政官(幕府に変わる新政府の形態)が五箇条のご誓文と「五榜の掲示」を太政官布告として出しました。旧幕府の高札を撤去し、そのかわりに五種類の高札を建てることを命じました。その内容をご紹介します。

 五榜の掲示
第一札:人としての「五倫の道」を正し殺人・放火・盗み等の禁止
第二札:徒党・強訴・逃散の禁止
第三札:キリスト教の禁止
第四札:万国公法に従うこと
第五札:郷村脱走(浮浪)の禁止
永年掲示「定三札」(第一札0第三札をいう)

今回見つけた高札は、この内の第一札と第三札の内容のようです。古い家を取り扱っていますと、様々な歴史を知ることが出来ます。当社の倉庫には様々な歴史が埋まっています。興味のある方は、是非お尋ね下さい。

ちなみに、この高札は丁重に家人の方に保管していただこうと思っています。

エエッ!! 割箸も立派なエコなんだ!

先日のブログでも紹介しましたが、綾部の鍛冶屋町にお住いになられた多田様ご夫妻を中心とする―里山的暮らし EKO TASK TEAM―という組織主催の「古民家再生を探る」というセミナーに、当社もご協力させていただきました。今回は、「伝統民家は成熟したエコロジー建築」と題して金沢工業大学&秋田県立大学名誉教授の鈴木有先生の講演を聞くことができました。この有意義な講演内容については、またブログでご報告させていただこうと思います。

今日は、そのセミナーに参加された方々の中にNPO法人「間伐材研究所」の方がおられ、間伐材新聞という情報誌に掲載されていた内容について書いてみたいと思います。

間伐材新聞第28号の扱った特集は、「割箸」についてでした。―特集 わりばし=私達の最も近くにある木材 割箸絶対指示宣言 残された「山への入口」を失うな!―というものでした。

以前から、「エコ」というものに関心を持つ人達の間で「マイ箸」という持ち歩きの箸が流行り、「割箸は資源の無駄使い」というイメージが浸透してきましたが、私的には、「マイ箸」の実践にどうもしっくりこないイメージがあり、なにかこの「マイ箸」の流行にのれないものを感じていたわけですが、今回そのモヤモヤを解決してくれるような特集記事でした。ただ、決して「マイ箸」を否定するということではありません。家では私もマイ箸を使っていますので・・・

そこで、この間伐材新聞に掲載されていた内容をご紹介したいと思います。まず―割りばしの知られざる基礎知識―から「もったいない」から生まれた歴史と伝統ということで、割箸が生まれたのは明治10年だそうです。奈良県吉野郡下市町の寺子屋の教師をしていた島本忠雄さんという方が、酒樽製造後の端材を捨てるのがもったいなくて、活用を考える中から杉の割箸を考案したのが始まりとのことです。ちなみに、箸の起源は紀元前15世紀の中国、日本には飛鳥時代に入り奈良時代に広がったとのこと。

日本人は千利休の時代から、箸を割るのは「おもてなし」とされ、木の香るできたての箸でもてなすことを礼儀としており、割箸を二本に割る行為は、今から食事を始めることの作法としてもあり、日本の文化になっていました。

もともと割箸は、その誕生の瞬間から、端材の有効活用という「もったいない精神」が息づいていたといわれるように、杉やヒノキの柱などに製材した残りの背板を使って製造されていました。これが本来の日本の割箸作りであり、製材とは切っても切れない縁でつながっていたのです。

そして今、新たに間伐材に新たな付加価値を見つけ出したのです。そのおかげで、山の手入れが可能となり、優良な木材が作られていくというのです。

25年前までは、国産の割箸の割合は80%あったそうです。ところが現在では、国産割箸の割合はわずか1.8%だそうです。主に中国等で作られる割箸は「ロータリー式」と言って原木丸太を大根のかつらむきの要領で薄い板を作り、それを刻んで箸の形にしていくやり方で、白樺やアスペンという材を使って作られているようです。この輸入割箸が「環境破壊」のレッテルを貼られる要因となっているとおもわれます。

国産割箸は、わずか2%あまり。とはいえ、年間4.7億膳、国産材でつくられた箸が存在しています。スーパーやコンビニ、ホームセンターなど4割のお店に国産割箸も陳列されているそうです。

今、「樹恩割り箸」という取組をきっかけに、国産の割り箸を使う取組が増えているそうです。割り箸が資源の無駄遣いではない。割り箸文化と塗り箸文化は違う。塗り箸は洗剤を使うので水が汚れる面もある。お互いの文化を理解しないと・・日本の木をどんどん使ってもらえば、いいこともたくさんある。割り箸は、日常の中で木に気づく絶好の機会だと。・・・・この話に、私も納得した次第です。詳しくはNPO法人 間伐材研究所まで

綾部市並松町上溝口20”3 TEL0773”43”1088だそうです。

これからの人生を楽しむ!一緒に楽しみませんか?

福知山市の勅使という場所に、古民家改造のモデルハウス場を開設していますが、近隣に里山と個人の平家を持っています。この場所で、炭焼き小屋も開放しており、多くの方々においで頂いております。また里山のクヌギ林や竹林にも、薪や竹炭の材料を求めて、阪神方面からも来ていただいており、多くの方達と交流がはかれるようになりました。

 この里山の中腹に、丁度現在の天津小学校の校庭が見下ろせる広い場所があります。実はこの場所は、2代前の天津小学校の校庭跡地ということのようです。

 実は、私はこの場所に露天風呂を設置する夢を持っています。

私も57才。そろそろ団塊の世代の後輩として、次の夢を考えなければならない年になって参りました。もちろん体力等に自信がなくなったわけではありませんが、次の人生を楽しむ目標をつくる時期が来たようにも思います。

 現在、炭焼きや薪造りなどを楽しもうとする団塊の世代の方々を見ておりますと、私も仕事とは別に楽しむ目標を考えたいな!それが仕事に結びつけば尚良い!と。そこで今思い描いているのが、”勅使の里山から由良川を見下ろしながら、露天の湯船につかる”構想な訳です

最近、その材料がある程度そろってきました。そのいくつかをご紹介したいと思います。

これはホーローの樽です。高さが1m直径が80cm位です。これで五右衛門風呂を造ろうと考えています。

次に、木製の樽です。(一度ブログに書きました)こちらは十分に203人が入れます。これより少し小さい樽もあります。

合計3つの樽をつかって、あずまやを建てて露天風呂を楽しむというわけです。そして、露天風呂を造る場所をご紹介いたします。

こちら、2代前の天津小学校の校庭跡です。絶景ですよ!

このプロジェクトを近に考えたいと思っています。興味ある方はご連絡下さい。

酒造場の大煙突の撤去:その2

昨日に引き続き、大煙突の撤去工事について記載します。まず、煙突を輪切りにする、ワイヤーソー工法です。煙突にワイヤーの刃のようなものを巻き付けて回転させて切ろうというわけです。

これが、機械を設置して切る前の状態です。

回転させて切り始めると熱と埃が発生するため、水を注入するのですが汚泥が飛び散りますのでビニールシート等で養生をします。

途中、ワイヤーソーの刃が中に食い込んでいきますので、クサビを打ち込んで重さがかからないようにします。

いよいよ切れましたので機械を撤去します。

そして切り離しです。

こんな切り口になっています。

ワイヤソーの刃です。拡大してみます。

真ん中の金属部分にダイヤモンドの粒が埋め込まれており、ザラザラしています。

ただ今酒蔵の煙突を撤去中!

何度か、ブログにも書いています酒蔵解体ですが。。。今回その酒蔵に附属する高さ15mの大きな煙突の撤去作業を開始しました。

まず足場を組んでいきます。

この煙突を「ワイヤーソー工」という工法で15mの煙突を4分割に輪切りにします。一分割する毎に、クレーンで吊りおろすというわけです。

その前に、「コアボーリング工」という工法で煙突に直径15cmの穴を4ヶ所空けます。これはクレーンで吊り下げるためのチェーンを通す穴です。

さて、一夜明けて本日はいよいよ切り離しです。一段目が切り離されました。

この切断工法について明日のブログでお伝えいたします。

北部の古民家見学写真 その2

舞鶴にもたくさん古民家があります。代表的な旧「上野家」をご紹介します。今は地元の記念館として公開されています。

こちらは、福知山市の「旧平野家」です。こちらも旧大江町の大雲記念館としてコンサートや様々な行事も行われ、一般に公開されています。

福知山の街中の由良川沿いを訪れると、地元町内会の方々が管理しておられる「治水記念館」を見学することが出来ます。

様々な洪水とのたたかいの様子を知ることが出来ます。一度訪れてみてください。市内の土地の低い場所に家を建てることをためらうかもしれませんね。?!

洪水の様子のビデオが上映されています。2階まで水が浸水してきて屋根に上がっている様子です。

京都府北部の様々な民家を訪れてみてはいかがですか?

先日ご紹介した「民家」の原稿を出筆するために、改めて様々な民家を訪れました。

丹後半島の伊根の舟屋や丹後地方の重要文化財である旧「尾藤家」や旧「三上家」・旧「上野家」・旧「平野家」などの豪商の民家の数々。また、洪水と戦った歴史を持つ町家(現在福知山の治水記念館)など。そして、今回掲載した様々の型をもつ各地の民家です。

どの民家にも印象ある風景やご案内の方々の姿がありました。その中でも特に脳裏に焼き付いているのは、旧岡花家の建物で現在大本教の敷地内に保存されている「摂丹型民家」である木の花庵の内部でした。毎日、囲炉裏に火が焚かれており、燻された香りと黒光りした梁や柱・床が、外の陽に萌ゆる若葉の緑と対比して、とても美しい光景でした。

また、「北船井型民家」に冬場以外は暮らしておられるという渡邊邸のご主人とお話しする機会がありました。茅葺きの山茅を集めるためのご苦労話です。葺き替えのための山茅の刈り取り時期は、11月から12月にかけてで、刈り取りに御夫婦で203週間かかるとのこと。3040cmの束を1200束は必要とのこと。大変なご苦労とお聞きしました。山茅の集積風景

伊根の舟屋群

宮津市の旧「三上家」