震災後初めての東北!仙台紀行・・・

3・11の東日本大震災から1年半。私が会長を務めさせていただいています福知山東ライオンズクラブ19名は、震災後の東北を初めて訪れました。今年復興支援チャリティー絵画展で1700万円近くを売り上げた収益を、福知山市を通じて東北へ義援金として贈ったことを契機に、「やはり今の東北を見るべし!」の思いから仙台五城ライオンズクラブさんを通じて現地の子供たちへも義援金を持っていく取り組みとして実現いたしました。
一日目は、仙台空港を皮切りに、石巻までの沿岸の津波による被害現場を視察してまいりました。仙台の都市部付近の瓦礫はだいぶなくなったというものの都市部を離れるにつれ、被害のつめ跡はまだまだ残っていました。被害の甚大さに言葉もない私達でしたが、訪れたことへの後悔はありませんでした。
石巻市の津波によって流失した油によって焼失した門脇小学校、廃墟となった住宅地、いまだに架線が垂れ下がり線路が砂に埋もれ閉鎖された駅、そんな中で、現地の皆様一人一人が被災の「かたりべ」となって体験談を語ってくれました。
 今月からバスガイドに復帰したというガイドさんの淡々と語る被災の日の体験談。被災後勤務するバス会社がなくなり、船上でのアルバイトでの海苔の販売、やっと1年半かかってやりたかったバスガイドへの復帰など。そこには、体験したものでなければわからない多くの「かたり」がありました。ぜひこの機会に多くの人が東北を訪れていただき、お金を使うことも含め、今後のわたくしたちの生き方、あり方を考えてみるのもよいのではないでしょうか。
仙台空港に到着!


少なくなったとはいえ、がれきは残っています
1日目の現地を案内してくださった
仙台五城ライオンズクラブの会長さんです。この方は三陸町出身の方で被災した三陸町役場庁舎の設計をした方でもあります。町長とも同級生だとか。


まだまだそのままの状態の建物が至る所に残っています。



現地を一望できる慰霊の高台を訪れました。頂上付近まで水が来たのだとか



被災し
んが「かたりべ」です。この方はバスの運転手さんです。
 
石巻の焼失した門脇小学校




学校の周りの住宅街には今も生活の跡が・・・

廃校となった学校はたくさんありました

こちらは未だに復旧の見込み
のない仙石線





多くの観光客も訪れてくれています。
松島の瑞巌寺。こちらは被害がすくなかっというものの津波は到達していました


復活!塩釜の蒲鉾工場


津波は青い壁のところまで来たのだという。

バスの中で被災経験を淡々と語ってくれた
彼女たちの生活のためにも皆さん東北へ行きま
しょう!

 

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